なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

わたしの中心にあるのは愛だ

昨夜、終電で帰ってきて、ぶらぶらと夜道を歩いていたら、シャワシャワと小出しにしたシャワーのような、雨に降られた。気温の高さのせいか、適度に温められていて、白ワインをひとりで1本飲み干している火照った身には、すこし生ぬるかった。
帰りの電車では辺見庸の『しのびよる破局』という本を読んでいた。人間とはいったいどうあるべきなのか、最近ずっとそのことを考えている。酔いが膜のようにうっすらまとわりついて、考えはなかなかまとまらない。声に出して誰かに語ってみたいが、うまく話せそうにない。いっそうもどかしくなるだけだろう。
帰って、カミュの『ペスト』を本棚から探して引っ張り出さなければ、と思いつつ、住宅街にポツンとあるサンクスに寄って、水とアイスクリームを買った。暗い夜道にぽっかり浮かび上がるコンビニの白っぽい光は、これはこれでなかなか悪くない。帰る方向を示す小さな灯火のようだ。
家に帰り着いて、顔を洗い、ネムの木に水をやる。ネムの木は豆科の植物で、枝に細かい葉をびっしりつけていて、朝になると葉を羊歯のように開き、夜になると閉じる。寝るのだ。夜中だから、葉を閉じて寝ている。閉じている葉を無理矢理指でこじ開けてみる。ねえ、起きて起きて、まだ寝ないで、とでもいうように。指で押さえられている間は開いているが、離すとバネのように元に戻り、起きてはくれない。何もかも、誰もかれも、わたしの言うことには耳をかさない。それはわかっている、しかし、諦めているわけではない。
蒸し暑い夜だった。アイスクリームを半分食べて、水を飲んで、歯を磨いて寝た。『ペスト』を探すのは、部屋に戻ると忘れてしまっていて、今朝、見つけ出した。すぐに読むかどうかはわからないが。

わたしの中心にあるのは愛だ
1Q84』のテーマはこれだ。これに尽きる。わたしの主旋律がそれであるように。愛とは甘いものではない。覚悟を決めるものだ。それは時にわたしを痛めつけるが、同時に強く補強もするだろう。村上春樹を20年以上読んできて、初めて握手をしたい気になった。