なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

やさしい手紙が書けるように

2月2日(木)
『みすず』読書アンケート特集が届く。
『みすず』は梅田の旭屋で買うのが当たり前だった。しかし、旭屋は昨年末にひっそりと店をしめた。ビルの老朽化、というのが理由だが、ビルが建て直されてもここにもう一度本屋ができることはないだろう。だから、もう旭屋で『みすず』を買うことはできない。
旭屋といえば、『一冊の本』や『未来』や『UP』、今はもうない『草思』といったPR誌をもらうため、一週間に2〜3回は足を運んでいたことを思い出す。まだ陳列されていない新刊を、店員にせがんでバックヤードから持ってこさせたり、4階の岩波とみすずの人文書コーナーで、2時間くらい立ち読みしていたこととか。そういうことはもう2度と出来ない。
旭屋がなくても、定期購読したから『みすず』を読むことはできる。そういう小利口な自分が時々嫌になる。
ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』と、アナトーリイ・ナイマン『アフマートヴァの思い出』を、早急に読まなければならないと、焦るような気持ちになる。
同じ年に同じ本を読んでいたとわかるだけでも、「読書アンケート特集」があってよかった。

2月3日(金)
母の検診の日。今回もなんとか無事だった。検査のセーフがわかるまで節分の巻き寿司を作る気にならないと言っていて、晴れて無罪放免になったから作るわー、と電話ではとても機嫌がよかった。小さな喜びのひとつひとつの積み重ね。
ストーブに火をつけるマッチがなくなったので東急ハンズに行く。マッチありますか、と店員に聞くと、あライターですか、と言われる。いやマッチです、と言うと、あチャッカマンですね、と言われて腹がたった。わたしはマッチが欲しいねん。結局ハンズにマッチはなかった。ハンズには何でもあると思ってた。
黒門市場によって白菜やらきのこやら鱈など鍋の食材を仕入れ、ジャパンに行ったら10箱140円で売っていた。何でもあるのはジャパンだったというわけか。
この日は他に、ミラン・クンデラ『出会い』(河出書房新社)を買った。読んでいた本は、島崎藤村『夜明け前』第二部。新聞の書評欄で斎藤美奈子が取り上げていて読む気なったのだが、辛気臭くて面倒になって一日でやめた。

2月6日(月)
週末にひいた風邪がひどくなって、身体を折りたたみたくなるほどきつい咳がでて、ヒキガエルみたいな声になってきた。それでも、通勤時の鼻歌は小沢健二だ。蛙の声で唄う『さよならなんて云えないよ』。とにかく、先月末にアンゲロプロスのことがあってから、入れ替わり立ち代わり小沢健二の唄が頭の中でループする。今回、オザケンにはずいぶん助けてもらった。
昼休みに耳鼻科に行き、喉に薬を塗ってもらう。吸入したらずいぶん楽になった。
帰りは天王寺までまわり、待ち合わせてお好み焼きを食べに行く。津村記久子さんの小説に「梅田はいつも工事をしている」というのがあったが、天王寺だっていつも工事をしている。そんなにいじくって街を一体どうしたいのか。動物園の前には、とっぷり日も暮れたというのに、この寒空の下、まだ将棋をさしているおっちゃん達がいた。

2月9日(木)
部内のコミュニケーションをより高めるため、最低年に2回、何らかのレクリエーションを計画するようにというお達しがあって、今日はその第一弾として卓球大会があった。終業後からやで、信じられんわ。休みの日でも嫌やけど。生類憐れみの令以来の悪法だとわたしは思う。断ればいいのに、のこのこと参加してしまう自分がさらに信じられない。
難波のボウリング場に、卓球台が6台置いてあって、カップルが一組、キャーなんて言いながら、楽しそうに打ち合っていた。聞くところによると世の中には卓球バーというようなものもあるそうで、なんか卓球ブームなのかも知れない。
わたしは、卓球などというものは今までやったことがなくて、サーブの仕方も知らなかったが、そのわりにはやってみると楽しかった。スマッシュをことごとくネットにかけてしまったのが屈辱だ。
嫌だ〜、と思う世の中の人とのいろんな行事とか飲み会とか会話には、ほんとにうんざりすることも多いし、この時間が早く過ぎ去ることを心から願うだけのときももちろんあるけど、でも不思議と時々、あ、いまおもしろかった、と思う一瞬が必ずある。嫌だ、嫌なんだけど、捨てたもんでもない、というか、心から笑ってる自分がいたりする。これがあるからかろうじて社会生活が営めてるんだろう。

本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると
そして 心は静かに離れていくと

卓球のあとは、みんなでお酒をのんで、わたしはひとりオザケンを唄いながら、夜道を歩いて帰る。空気が冷えて、頬っぺたが凍りそうになりながら。
お風呂につかって、寝床でポール・セロー『ゴースト・トレインは東の星へ』を読む。ブルガリアをぬけて、トルコまでたどり着き、オルハン・パムクに会ったところまで読んで、寝る。