なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

希望は地上の路のようなものだ

昨日の夜中に、東京から帰ってきた。歩きすぎて硬直した足を風呂でほぐしてすぐに寝て、そのまますぐ朝になった。
寝たらすぐに朝になる。子どもの頃は不思議だった。どうして寝たら次の瞬間はもう朝なの?なんでこんなに早く時間が経つの?寝ている間も生きてるっていえるの?
どれも無邪気な質問だけど、今もわたしは、あの頃の自分に、答えを出してあげられない。

珈琲をいれてトーストを焼き、「アントニオ・ロペス展」の図録を広げ、もらってきたフリーペーパーをひっくり返して眺める。渋谷駅の近くの古本屋(店名忘れた)で買った、ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』(みすず書房)を読んで、大好きな桂南天さんのラジオを聴いていたら、あっという間にゴミ収集車が来て、ということは10時半になったということで、休みの日の朝の時間は、緩やかに流れていく。

自分に注釈を加える?なんと退屈な!私にとって唯一な解決法は、自分をー遠くから、きわめて遠くからーこの今という時から、≪ふたたび書く≫ことであった。しかも現に私の書いているものがはたして自分の過去についてなのか現在についてなのか、まったくわからないままに。

美容室に電話したら予約が取れたので、日傘を差して出かけた。日焼けするしないは最早どうでもいいが、日差しがきつすぎるのでせめてそれをさえぎりたい。ipod細野晴臣の新譜≪Heavenly Music≫を聴く。昨日、新幹線に乗る前、東京駅の地下にある小さなタワーレコードで買ったのだ。細野さんは強くて優しくて、クールでかっこいいなあ、としみじみ思う。ブックレットに挿入されている写真や文章もとても良い。

可能性というものはどれかを選ぶまでは無限の選択肢があるのだ。可能性自体が無限だ。無限ということは、まだ何もやってないということだ。

そう、まだ何もやってない。11曲目の≪I Love How You Love Me≫、リピートして数回聞いてしまった。
遠くにいても、僕を優しく気遣ってくれる そんな君の愛し方が好き

髪を切ってさっぱりして、カンカン照りの長堀通を歩く。たぶん30℃は超えていると思う。昨日の東京も暑かったけれど、こっちも相当だ。まだストーブ出したままなんだけど、歩きながら途方に暮れる。毎年言ってるように思うけど、ストーブしまうには灯油使い切ってしまわなきゃ。というわけで、帰宅してからストーブをつけ、その上でミネストローネスープをことこと煮た。窓開け放ったけど、暑くて死ぬんじゃないかと思った。

日が沈んでから、ショッピングバッグ持ってまた出かける。図書館のポストに静かに小川洋子『ことり』を返却。これもとても良い小説だった。静かで、孤独で、愛に満ちていた。文庫化したらぜひ再読したい。
近くのお店で牛乳と卵、シャンプーを買って帰宅したら、ラジオで下柳が喋っていた。わたしの弱点は野球とラジオ。正座して聴きたい。

夜になって風が少し涼しくなった。明日からまた仕事だ。もうめんどくさくなってきたなあ、仕事の仕方、忘れたかもしれない。今夜は『灰色の魂』を読んで寝るとしよう。