なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

蒼白なる両頬に

昨夜、電車を乗り過ごした。ビール1リットル、ハイボール500ミリリットル、赤ワイン1本飲んでいたけど、そんなに酔ってる感じはしてなくて、もうすぐ読み終わるアンダソン『ワインズバーグ・オハイオ』を開いてもちゃんと文章が頭に入ってきたから、きっと大丈夫だろうと、開いた席に座ったのが運のつき。眠気がずっこんとおりてきて意識を失い、気がついたら八尾だった。文庫本の『ワインズバーグ・オハイオ』はかわいそうにも、わたしの足下の靴の横に落とされて、平べったく広がっていた。

時刻は0時前で、当然のごとく北へ戻る電車はなかった。駅前はがらんとしたバスターミナル、もうどこへも行かないバスが点在しているだけ。一緒に改札を出た人々は帰るべき場所があり、確信をもってどんどん遠ざかっていく。わたしにも帰る場所は一応あるのだが、そこまでの道がわからない。ここはいったいどこなんだ。

タクシーで帰り着き、顔を洗って歯を磨いて寝た。今朝、『ワインズバーグ・オハイオ』を開いたら、挟んでた海文堂の栞がなくなっていた。車庫に入った地下鉄の床に一枚落ちている、海文堂の栞のことをおもってみる。地下鉄の忘れ物窓口に電話して聞いてみたらいいだろうか、昨日の終電の1両目か2両目に「KAIBUNDO」と書いた青い栞が落ちていませんでしたか、大切な栞なんです、もう手に入れることはできない栞なんです、と言えば、探してくれるんだろうか。
失うものばかりで困るな、と、くるりが新譜で歌っていた。本当にそうだ。『気のせいだろう 何だかあきらめそうになるよ 失うことばっかりじゃないのに』

昨日の昼間は、久しぶりに映画を観た。大阪歴史博物館の講堂で溝口健二『浪華悲歌』。そごうでの買い物や地下鉄のシーンがいいのはもちろんだけれど、社長夫妻が揃って登場する場面に、今回はなんだか心惹かれた。寝坊してきた妻が、飄々とした表情でとる朝食のシーンとか。ぽりぽりぽりぽり、あれは何を食べてるんでしょうね。トーストか?
映画の後は、「特別展 村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」を。建築もさることながら、なんといっても椅子とか傘立てとか衝立などの、家具がすばらしい。優雅な曲線が見事。それと、外国にいくたび、孫娘たちにと選ぶ、お土産のワンピースやおもちゃのセンスの良さ。審美眼が優れている。
建築のことを考えると、人ばっかり観察していないで、もっと大阪の街そのものをしっかり見て歩かないといけないなあと、しみじみおもう。

9月にしたことで、書いておきたいこと、本当はあるんだけれど、どう表現していいかわからないのでやめる。声をかけられなかったのは、たぶんわたしが逃げすぎるから。忘れられてることをわかるのがこわかった。思い出が特別なものじゃなくなるのがこわかった。またはじめるのもこわかった。ドキドキするの、久しぶりだったな。祈るみたいな気持ちになるのも。忘れてるのはわたしのほうなのかな。
今度のくるりの新譜には、元気でいてくれ、元気かな、変わらないでいてね、というようなフレーズがよく出てくる。元気でいてくれー、本気でそうおもう。また会えるよね、そのときは、きっと声をかけよう。