なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

われもまたその如く走らんと

この秋、初めて、酒を燗して、秋刀魚の焼いたのを食べる。燗酒はいつ飲んでもお正月の味がする。そういえば、もうすぐ、また、正月だ。
しかし、ラジオでは野球をやっている。ABC朝日放送の解説は岡田彰布。話すときこれほどまでに、「だから」という接続詞を使う人も珍しい。時々いいことを言うのだが、なかなか伝わりにくい。それにしてもGはいったい、何をしてるんでしょうね。
人生の終わりまでにいつか、野球に興味がなくなる日がくるのだろうか。少し、そんな日が待ち遠しいような気がする。

きょうは、夕焼けがしみじみきれいな日だった。来週の発表会の打ち合わせをしているとき、会社のミーティングルームの窓から、橙色の空とグレーの雲ををかすめて伊丹空港におりて行く、旅客機をいくつも眺めた。滲んでいくブラッドオレンジと高い空。ねえ話聞いてんの、と上司に何度も言われた。聞いてますよ、と答えたけれど、本当は何も聞いていなかった。ずっと違うことを考えていた。
待ち合せはいつも夕方だった。今でも西の空は、あのとき新宿で眺めた空と、何も変わらないように見えるのに。

なにしろ私は中央線が高架になっていることすら忘れていたが、その見上げるような高架線に沿って、いかにも中央線らしい匂いのする、小ぢんまりとまとまったスマートな商店街があり、都丸書店というのはもう閉まっていたが、短い町筋の中に、他に二軒も古本屋があった。その一軒へ入って、私は手当たり次第に六千円ぶんほど本を買った。ペペル・モコという珈琲屋でコーヒーを飲んで帰った。私はなんだか、人間の一生などといっても知れたもんだという気がした。五十年の私の歳月にはずいぶんいろんなことがあったようで、しかし、それらはすべて、高円寺から高円寺までひと廻りしてくる輪の中にあるような気がするのであった。

台風の体育の日、本棚の整理をしていたら、洲之内徹の本を発掘して、何だかすごく久しぶりのような気がして、今日までとっかえひっかえ読んでいた。引用したのは『セザンヌの塗り残し』の中の、「いっぽんのあきビンの」という中にある文章で、私が洲之内徹を読むのは結局、こういうくだりに共感するからなのかもしれないと、つくづくおもうのだ。
これも百冊入りだったな、と今更ながら後悔するんだけれど、今選んだらまた全然異なる百冊ができた気がして、あれは未来永劫、永遠に繰り返せるような、贅沢な選択だった。

今日は、友人が誕生祝いに、と言ってくれた、『ドミトリーともきんす』を読んだ。わたしの誕生日は3月で、このプレゼントは、遅れてきたものなのか先取りなのか、聞きもしなかったからよくわからない。
友人とは木曜日の残業あとに北新地で待ち合せし、やきとんを食べに行った。夏になる前に亡くなった友人のお父さんのために、わたしは線香を渡した。線香は慎ましやかな香りがし、脂にまみれたやきとんの店には、あんまり似合わなかった。友人のお父さんとは、一緒に甲子園にも行った。わたしと友人の前の席に座り、メガホンを片手に、広島時代の江夏みたいな髪型をして、ビールを飲んでいた後ろ姿のことを、今もしっかり覚えている。
その日は、ビールや焼酎をぐびぐびと飲んで、友人がバリウムを飲んだ後、便がなかなか出なくて、やっと出たとおもったらその便が便器の底に固まってトイレの水が流れにくくなり、とうとう業者を呼ぶに至ってしまった、という話を延々1時間ほどもし、わたしは今月初旬に受けた大腸内視鏡検査における顛末を、同じように1時間ほどは語ったのだが、世の中にはいろんなどうでもいい会話というものがたぶん無数にあるだろうけれど、あの日のはその極北に位置するものではないかと、しみじみとおもう。

本日、阪神は勝つのかどうなのか今もまだよくわからないけれど、秋深まった甲子園もまたいいものかも知れず、あの世というものがあるとして、今頃少しほくそ笑んでいる人が、いくらかいるような気がする。