なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

わがままエイリアン

晴れて、あたたかい日曜日。朝、布団を干すとき空を見上げたら、ひこうき雲が何本もくっきりと、青い空に見えていた。ひこうきが残す白い線は、機体が遠ざかるにつれ平べったくのび固まって、当たり前の雲になっていく。

空を眺めるのに飽きたら、珈琲をつくって、金曜日に、会社帰りに買ったばかりの、山崎努『柔らかな犀の角』(文春文庫)を読む。週刊文春に連載されていた読書日記。池澤夏樹から保坂和志武田百合子にフリオ・コスタサル、車谷長吉もあればベケットもあって、田村隆一想田和弘、アルブレヒト・ヴァッカー、佐野洋子、マラマッド、アラーキー森村泰昌も読んでいて、この手当り次第感、脈略のなさが、わたしの読書傾向のバラバラさと似ているのが、とても嬉しい。

テレビで放映されていた『天国と地獄』を偶然みるところ。画面にうつる、25歳の「山崎努」を見ての、老境「山崎努」の感想。

へただなあ、今ならもっとうまくやるけどなあと思いつつ、でもあの若僧の青臭いうっとうしさや稚拙な虚勢の張りようはあの時の姿であってもう絶対に再現できない、演技とはすぐに腐ってしまう生まものなのだ、いや腐ってゆく「状態」そのものなのだ。

小津の映画をあらためて見直したときの文章もよい。

おれはこれまで何をどこを見てたんだ。うかつ、鈍感、脳たりんであった。
これは異界から見た現世の風景だ。いや、末期の眼で見た世界だ。
ここに登場する人たちは、お互いさり気なく助け合って生きている。親子、兄弟、友人、師弟、それぞれが支え合って暮らしている。そしてそういう人々もやがて時が来て死んでゆく。そんな人間たちをカメラがいとおしそうに見つめている。小津は楽園を描いているのだ。浮き世に散在する楽園の破片を大切に注意深くピックアップしているのだ。そこにはただただ懐かしく美しい出来事があるばかり。それ以外の醜いものは一切見ない。断固無視する。その無視にめっぽう力がある。

先週の日記、ところどころ。
16日 日曜日。
キムチ鍋をつつきつつ、バラカンビートを聴いてから、コートを羽織って、難波までレイトショウを観に行く。日曜日の夜に出かけるのは、月曜の襲来を少しでも遠ざけられるような気がして、好き。絶対に、明日に備えて早く寝たりしない。
でも、『紙の月』で、主人公の犯罪をただひとり見抜く小林聡美演じる銀行員は、明日に差し支えるから徹夜なんかしたことない、と言うのだ。定年になったらしてみたいことのひとつが徹夜だと。窓ガラスが打ち破られる前のシーンと台詞全部、よかったわ。何億円も横領して「あっち側」へ逃げるのも、徹夜ひとつに躊躇して「こっち側」に残るのも、あの窓ガラス一枚の差しかない。宮沢りえも、大島優子もよかったけれど、『紙の月』は小林聡美の映画だと、わたしはおもう。

18日 火曜日。
父の誕生日なので、おめでとう、とメールする。ありがとう、とすぐ返事がかえってくる。きょう、ミッキーマウスも誕生日らしいで!、わしと一緒や!と書いてあった。絵文字つきだったけど、わたしは絵文字のことがよくわからないのでここには再現できない。そうなんや、と返信したら、そうやねん、とすぐ返事がかえってきた。父とメールのやりとりをするのは、時に疲れる。
火曜日って、晴れてたっけ?思い出せない。
夜は飲み会だった。2次会まで連れて行かれた。帰りたいけど帰れなかった。USJハリーポッターの話をされた。全くついて行けない。何しろわたしは一昨日初めて、大島優子という人の顔を見たのだ。USJには行きたいと思ったこともないし、ハリーポッターのことは何も知らない。読んだことないの?意外〜、村上春樹は読むのにね、と言われたが、言葉の意味がよくわからなかったので黙っていた。世の中は、わたしの参加できない会話で溢れている。

21日 金曜日。
20時まで残業して帰る。肩が凝って眼が乾いてバシバシする。10人ほど乗ってた帰りのエレベーターで首を左右に曲げたら、ボキッと材木が折れたみたいな音が鳴り響き、隣に立っていた他所の会社のおっさんに変な顔をされた。
疲れたときは本屋で本をみるにかぎる。ジュンク堂に寄り、尊敬してやまない山崎努の文庫と、ビーター・バラカンに惹かれて、数年ぶりに「switch」も買ってしまう。前半しか読むとこないけど。
21時半くらいに家に帰り着き、じゃがいもを剥いて肉じゃがをつくり、ブロッコリーを茹でトマトとオリーブオイルと塩で和える。温めた豆腐にネギをのせて、「春鹿」をちびちびやっていると友人Kより、再来週飲みにいこう、アベノミクスと橋下の悪口言おう、とお誘いのメールあり。あんな奴らの悪口をいう時間がもったいないわ、と思いつつ、都合のいい日を確かめるためにカレンダーを見たら、再来週とはもう12月のことなのだと判明し、滝のように落ちていく時間が見えるような気がした。
寝る前にマルグリット・ユルスナール『アレクシス あるいは空しい戦いについて』を読み始める。須賀敦子の『ユルスナールの靴』を読み返していて、急に読みたくなったため、本棚から発掘した。それはともかく、須賀敦子展は関西には巡回しないのだろうか。全く切ないことだ。
金曜日って、晴れてたかな。二日前のことが、もう思い出せない。