なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

コロッサル・ユース

休日。音のしない雨が降り続く。洗濯もできないし、布団も干せない。仕方がないので、掃除をする。
部屋に散らばった本を、本棚代わりにしている押入れに積み上げていく。横積みの美学を追求している、と言えば聞こえはいいが、多すぎてきちんと陳列不可能なだけのこと。雑然としているが、なんとなく片付いている、という部屋を目指しているので、これはこれでいいことにする。もはやどんな雑誌のインテリア特集も参考にならない。
朝食に、パンケーキを焼く。りんごと山葡萄のジャム、ヨーグルトつき。昼はニューダルニーでカツカレー。けっこう濃い。
保坂和志の新刊が出ているかもしれない、というので、難波のジュンク堂へ行く。ありました、『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)。保坂和志は最近小説を書かないようだが、この人にとってはこのようなものを書くことも、小説なのだろうと思う。他には読みそびれていたゼーバルト『目眩まし』(白水社)を購入した。
ブラジルで珈琲を飲もうと思ったが、休み。火曜日は定休日にしている店が多い。パークスのBshopで、FALKEの靴下を2足購入。1足1800円もするが、丈夫なので、きっと元は取れるはず。
今日はお稽古の日で前期最終授業だっだが、観ておかないとたぶん見逃す確率が高く、どうしても見逃したくないので、教室を休んで『コロッサル・ユース』を観に、九条へ行く。先生にはメールをしておく。でも今度の飲み会には来るでしょ?とすぐ返信がかえってくる。行けたらね、と返しておく。

俺たちが会えたらふたりの人生はこれから30年は美しいものとなるだろう。俺は若返り、力が溢れる。お前に贈りたいのは10万本の煙草、流行のドレスを1ダース、車、お前が欲しがっていた溶岩の家、4トスタンの花束。だが何よりもまず、うまいワインを1瓶飲んで、俺のことを思ってくれ。今までの手紙は無事に届いたのだろうか?返事が来ていない。待っているよ。毎日、毎分、美しい言葉を覚えている。俺たちふたりだけのための。

映画の中では、たびたび、この手紙が暗誦される。それを聞くたび、言葉を口にしているヴェントーラの姿を見るたび、胸がしめつけられる思いがする。誰かに会いたいと思って、街をさまようこと。誰かと話したいと思って、でも思うように話せないこと。誰かを待つことと、待ってもかなえられないこと。でも待ち続けること。その間も、生活は続き、食事があり酒があり、仕事があり眠りがあり、朝が来て、しかし、待っている誰かは来ず、しかしそれでも待ち続けること。『ときどき力を失って、お前を忘れてしまうのではと思ったりする』というのも確か、手紙の一節にあった。頭を抱えるほどの共感がある。
いい映画だった。観客は4人ほどだったけど。こんないい映画を、何故みんな観ないのだろう。変だ、理解に苦しむ。
ペドロ・コスタの映画を観るといつも生活は音に囲まれているな、ということを思う。それと、雑然の美しさ。わたしの部屋もこうでないといかん。それと、ヴァンダが太っていたのにびっくりした。時間を目で見た気がした。
結局、夜までずっと雨。