なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

慎み深く照らし給え

私は完璧であったことはありませんが、私は現実なのです。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

昼すぎ、雨が降ってきた。暗くなったと思ったら、ベランダに雨の音。洗濯物を軒下へ入れようとサッシを開けたら、ベランダ用つっかけの横に、ジャガイモが1個落ちていた。室外機の上に置いて外気にさらしてあるジャガイモの箱から、昨日、カレーを作るためにいくつか出して、その時1個落としたことに気がつかなかった。芽が出たジャガイモは、雨に濡れて、しなびていた。
ラジオをつけたら、姜尚中が喋っていた。話す声を初めて聞いた。ゆっくりで静かな語り口は、北中正和に通じるものがある。それを聞きながら、11月分の日記を3日ほど書いて、ほんとうにほんとうにほんとうに、馬鹿馬鹿しくって嫌になって、放り投げて、雨の中、傘をさして出かけた。
今の家に越して来てから、この区の図書館に行ったことがなかったので、コンビニで地図を確認して、探してみる。軒の低い住宅街を抜けてしばらく行くと、すぐに見つかった。古くて小ぶりな図書館で、児童書と雑誌類が多く、わたしが読むような本はあまりなかったが、古い紙の匂いと湿気を含んだ壁の匂いが、どこか懐かしく、歩くと軋む床の感じが、下校時刻間近の放課後の小学校のようだった。免許証を忘れ、貸し出しカードが作れなかったので、中央図書館のカードを使って、池澤夏樹『きみのためのバラ』を借りる。
雨あがりの夕暮れの道を南下して、行きつけのパン屋で、食パンとキッシュ、マルゲリータを買い、近所に新しくオープンした古本屋に寄り、大竹昭子須賀敦子のミラノ』を900円で買う。会計をするとお店の人がすかさず、何か本を売ってください、と言うので、びっくりした。わたしの返事を待たずにまた続けて、どんな本を売ってくれますか、送ってもらってもいいですから、どうぞ売ってください、と畳み掛けてくるので、怯んでしまった。わたしの抱え込んでいるこの膨大な書物が、見えたのだろうか、まるで守護霊のように。PR誌でもいいの?と聞こうかと思ったが止めて、また持ってきますから、と言って、店を出る。とっぷり日が暮れていた。

私たちにはみな内なる人生がある。我々はみな、自分を世界の一部と感じつつ、世界から追放されていると感じてもいる。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

2008年12月と、年が明けてからの数日のことも書こうと思っていたが、あまりに面倒くさいので、挫けました。賢明な判断と思います。