なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

何も約束するな

どう扱っていいか、よくわからなくなってきた、この、とても日記とはよべないようなもの。

雲間から晴れ間。しかし、雨も降る。風に乗って、雨粒が顔に当たった。降ると思っていなかったので、傘を持たず出かけたのは、失敗だった。何ヶ月ぶりかで髪を切ったのだが、カット仕立ての髪が少し濡れて、頭を振るとシャンプーの匂いがした。
cocoroで、角食パン6枚切りを買って、夕方、家に戻ってきた。

洗濯物を触ってみたら、まだ乾いていなかった。パジャマの袖口とか、シャツの脇の部分とか、しっとりとしていた。ベランダから見える、西の空がオレンジ色になっている。もうすぐ日が沈むのだなあ。だんだん部屋が暗がりに囲まれていく。こんな時間に部屋にいるのは本当に久しぶりなので、何だかうれしい。

お昼ごはんにドライカレーを食べながら、先週から読んでいるリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房)を、2章読む。買ったのはずいぶん前だけれど、ずっと読まずに来て、先日、アウグスト・ザンダーの『20世紀の人間たち』をみる機会があり、ついでにこの小説も読もうと思ったはいいが、ついでに読むにはボリュームがありすぎる内容で、かなり時間をとられている。
カメラは、今ここにあるものをあるようにしか撮ることができないのに、写真になると、写っているもの以外のものまで見えてしまうのは、何故だろう。何故っていうか、それが写真のすごいところだ。写っている以外のものを見たのでなければ、それを撮った者がいたのでなければ、パワーズはこんな手のこんだ小説という芸術作品を、生み出すことはできなかっただろう。

日が暮れたので、今日は、冷凍してある酒粕をつかって、野菜のたっぷり入った粕汁を作ろう。

ごはんを食べた後、ブックファーストで、『罪と罰』と『沖で待つ』の文庫を買った。この2冊が同じ日に出るのは、まるで何かの記念みたいだね。そう思っているのは、世界中できっとわたしひとりだろう。胸に押し当てるように、大切に思っているのは。

どう扱っていいかわからないのは変わりないけど、今日はスペシャルな日だから、書けてよかったと思います。