なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

ありきたりな文字は誓って棄てよう

2015年1月2日。しんしんと冷える朝。午前7時30分に起きる。向かいの家の屋根につもった雪が、まだとけず残っている。きのう、大阪市内に降った雪はすぐやんだけれど、元日に電話で話した母によると京都では、急に雪国になったわな、あちらもこちらも真っ白や、とのことで、たいへん積もっているらしい。雪を写真に撮ってメールで送る、と言っていたが、あれからかれこれ12時間も経過しても、まだこない。何かを待つときに、人に期待しないほうがいい。

何という名前か知らないが、雀でも鳩でもない、その中間くらいの大きさの鳥が、屋根の上をつんつんと歩き、雪をついばんでいる。さっきまでぼおっと、15分くらい、窓からそれを眺めていた。それから豆をひいて珈琲を淹れ、日記でも書こう正月だし、とおもい、久しぶりにMacを触った。
でも、それは、ゆうべラジオで、竹下景子による「アンネの日記」の朗読を聞いたからかもしれない。同じ放送局でやっている、市原悦子による「赤毛のアン」の朗読は、まったく耳に入ってこず、頭に何の像も結ばないんだけれど、アンネの文章は、しっかりひとつひとつ、刻まれていった。聞いていて、これは日記ではなく、手紙だと、ふと心におちた。誰かに何かを伝えたくて書いた手紙なんだなあと。

12月のあれこれを。3日。
紹介してくれる人があって、富山から野菜をとりはじめた。メールすれば、その時にとれた旬の野菜を、すぐ送ってもらえる。届いたのは、白菜、赤大根、人参、かぶ、あやめかぶ(上半分が赤で、下がしろのグラデーションになっている)、赤かぶ、下仁田ねぎ、春菊、源助大根、ミラノ大根。根菜が多いが、大根やかぶには全部、葉っぱがついているので、一緒に煮たり、いためたりできる。大根はただ茹でて、味噌をつけて食べるだけでも、甘くておいしい。野菜があると、手抜きしても、美味しいものが勝手に出来上がる気がする。
閻連科『愉楽』を読みはじめる。大好物の2段組みにくわえて、冒頭の数行でわかる間違いのないおもしろさ。40年以上も本を読んでいると、どんなものが自分にあって、なにがあわないか、だいたいわかってくるものだ、まあ、わからないこともあるけど。

10日。休日。
インフルエンザの予防注射するの忘れていた、とおもい、近所の病院をふらりとたずね、注射してください、と言ってみたところ、受付の白衣の女性はしばし絶句したのち、今日はできません、と断られた。予約をしていただかないと…と、当惑顔の裏には、こいつあほちゃうか、という気持ちが透けてみえるようであった。注射ひとつに予約がいるのかあ。
何かを予防しようというような、常識的なことを考えたのが間違いであったとさっさと諦め、梅田にレコードを買いにいった。先月末に、新しいターンテーブルを手に入れてから、にわかにアナログ熱が高まり、度重なる引っ越しと資金づくりのため手放したレコードを、せっせと中古で買いなおしている。A面が終わったら部屋に静けさがもどり、いそいそと盤をひっくり返して、B面に針を落とすと、音がふたたび広がる瞬間が好きだ。
レコードを聴くようになったのは、毎週バラカンビートで「名盤片面」コーナーを楽しんでいるからかもしれない。9月末にバラカンモーニングが終わったときはえらくしんみりしたけれど、バカランビートを聴いていると、番組としてはこっちのほうが好きだなあと、充分に楽しんで満足しているところに、生きて行くことのどうしようもない薄情さをしみじみと感じる。

13日。
誘われて、大阪城ホール竹内まりやのライブに行った。大阪城ホールというところに足を踏み入れたのは、まったく何年ぶりだろうか、20年近く前に、レニー・クラヴィッツのライブに行って以来ではないだろうか。何のコネなのか、チケットは、アリーナの前から5番目か6番目くらいの席で、ステージはすぐそばにあり、竹内まりやは公演中ずっと目の前をうろうろして歌っていた。
竹内まりやは中学生の頃「ヴァラエティ」をそれこそレコードで集中的に聴いたのと、中森明菜に提供したいくつかの曲しかちゃんと聴いたことがなく、ほとんど思い入れがなくて、せめて旦那が出てきてくれたらなあ、と淡い期待を抱いていたのだが、幕があがって一番に毛糸の帽子をかぶった山下達郎がギターをぶら下げて出てきたのには、まったくびっくりした。これは当たり前のことで、竹内まりやのライブには、バンマスとして旦那がもれなくついてくるらしい。常識やで、と一緒に行った人は涼しい顔をしていたが、わたしは知らなかったのですごく得をした気持ちがし、無知とはやはりある意味、人生を彩るものである。
竹内まりやの最近の曲、散文的な人生賛歌のようなものは正直言ってよくわからないのだが、バックの演奏は厚みとあたたかみがあってどれも聞き入ってしまったし、「プラスティックラブ」における山下達郎のコーラスは、竹内まりやが、わたしが喰われちゃうじゃん、と言うのもうなずける、じつに素晴らしいものであった。
満足して終演。ホールを出ると、雪がちらちら舞う中、林立する木々の向こうに、灯りに照らされた大阪城が見えた。

わたしが書いているものも日記ではない。でも手紙でもない。じゃなんなんだ。