なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

母との対話

肌寒い日曜日。小川洋子さんのラジオを聞く。今日は辺見庸『もの食う人々』。この番組を聞くと、ああやっと休みだ、と思う。家で日がな一日本を読んでいたいが、そうもいかない。神はわたしにそう簡単に休みをくれない。
家事をかたづけて、実家へ帰る。行き帰りの電車の中では、テス・ギャラガー『ふくろう女の美容室』を読む。短編では『生きものたち』が面白かった。ずっと押さえつけていた感情が爆発する時の、絶望と開放感。生きものである以上、猫も人間も同じということ。
また、最後におさめられている、テス・ギャラガーと庭仕事が何より好きだというテスのお母さんとの対話がとても良い。何かに対して意味を見出そうとする「言語」の人である娘に対して、そんな大仰なものはないと切り捨てる「行動」の母。

娘:人生や自然について、庭はお母さんにどんなことを教えてくれた?
母:さあ、どうかねえ。だいたい庭と人生なんて、分けて考えられるものだろうか。生きてれば自然はきっと何かを教えてくれるものだよ。世話をしない者には、庭は持てない。これは一番大事な教訓だね。

実家では、明日からの入院に備えて、支度を手伝う。入院にまつわることは何をするのも億劫という母をなだめすかして、入院申込書を書いたり、下着を準備したり、洗面用具を揃えたり、かばんにつめたり。そしてたらたらと垂れ流される愚痴をふんふん聞く。時には諭す。これが4度目の入院になる。治療がうまく進めば、あと2回これをくり返せばいい。そうすれば、母も少しは気が楽になるだろう。そして、わたしも。たぶん。

夕食は、麻婆茄子、たけのこ(春に収穫し、冷凍しておいたもの)の煮物、五目豆、さつまいものレモン煮、ごはん、ビール。実家にて。

夜はずいぶん涼しい。というか、寒い。