なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

光と埃のすごいごちそう

朝刊がポストに入ってなかった。午前8時を過ぎても配達されないので、配達所に電話をしてみる。責任者のような人が出てきて、配り忘れでしょう、すぐ持って行きます、とのこと。出かける予定もあったし、明日の朝刊と一緒でいいですよ、と言ってみるが、今日の朝刊は今日の朝に読むべきものですからすぐ配達します、ときっぱり言われた。それもそうかと思う。読み物をためこんでしまう癖がつき、一週間前の新聞を一週間後に読み、こんなこともあったのかととっくに終わった出来事にびっくりなどしている身には、新鮮な言葉であった。
配達員の人は、15分後くらいに玄関に到着し、透明のゴミ袋と、小さい袋に入った電話代の10円をくれた。
今日は、遅れて来た新聞のほかに、取り寄せた『ヴィルヘルム・ハンマースホイ展』の図録が届いた。本当はその絵を観に行きたいのだが、会期中に東京へ必ず行けるという自信がないので、取り急ぎ図録だけでも観たいと思った。
この人の絵の、京都の町屋に差し込む日差しにも似た、ほのかな光が好きで、前から、画集が欲しいと思っていた。特に読みたくはなかったが、表紙に使用されていたので、松浦寿輝『半島』も買ったりした。暗い室内に浮かび上がる女性の後姿を含めて、どこか懐かしい感じがするのだ。わたしのまわりにかつてはいたが、もういまはいない、数々の人々を思い出す。光が巻き上げる細かい埃の粒子を、ぼんやり眺めていた幼いわたし。かつて見ていた風景を、遠い異国でずいぶん昔に描かれた絵の中に見出す不思議。
絵をゆっくりみている時間は、今日もあまりなかった。実家へ戻り、母の様子をうかがって、買い物などをし、家事を手伝って、愚痴を聞く。週に2度ある休みの1日は、母が望むことを、自分の生活ペースをくずさないかぎりにおいて、おこなおう思っている。たとえ、この病気のことがなかったとしても、母と過ごせる日々は、たぶんもう限られているのだ。しかし、それはどんな人との関係でもいえる。わたし達は、いつかどこかで突然に別れる。どんなに手を尽くしていても、その時後悔をしないなんてことはないだろうと思う。
日中は空中の舞い続けるような雨が降り、夜になって本降りに。傘をぐっしょりぬらして帰る。ラジオ深夜便を聞いて、日曜日が終わる。