なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

取捨選択の末に

雨でグズグズしていたが、午後より徐々に天気回復、夕方にはすっかり空気が入れ替わり、涼しい風が吹く。
早起きしたので、風呂に入るついでに、早朝より風呂掃除に精を出す。立ったまま、竹のブラシで床を磨いていく。京都三条大橋のたもとの店で買ったブラシは、さすがよく出来ていて、ごしごしこすると、汚れがはらはらと面白いようにはがれる。銭湯でバイトはしたことがないが、こんな感じなのだろうか。楽しい。銭湯という商売は、番台に座って日がな一日本を読んで客を待つのも魅力的な気がするし、天井の高いのもいいし、石鹸の匂いも好きだし、とてもいい職業のような気がする。滅びてゆくものに惹かれる。
定時に退社。心斎橋までぶらぶら歩いて、途中の店で靴を見るが、買いたいものがなくて、試し履きもせず。難波のジュンクで、河出文庫から出た澁澤龍彦の書評集を購入。澁澤の本を買うなんて、何年ぶりのことだろう。
黒門市場で、珈琲豆購入。焙煎してもらってる間、店主のおじさんといろいろ話す。フィルターは円錐がいいか三つ穴がいいか、とか、どっしりした濃い珈琲が好きか、あっさりめがいいかとか、フレッシュを入れるか入れないかとか。珈琲なんか嗜好そのものなんやから、別に自分の好きにしていいんよ、これがいいとか絶対ないから、というのがおじさんの弁。そこで意見がめでたく一致した。近所のワイン屋で、フランスの赤ワイン購入。
夜、『キェシロフスキの世界』の続き。

不幸にもタルコフスキーは死んだ。もはや生きることができなかったからだろう。人が死ぬ一番の理由は、ほとんどこれだ。死因は、やれガンだ、心臓発作だ、車にひかれたからだと言うが、実際は、生き続けることができなくなるからこそ死んでゆくのが一番の死因なのだ。