なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

土曜日では遅すぎる

土曜日だ。仕事量多く、バタバタで、週末って感じは全くしないけど、面接が終わったことがわたしの気持ちをずいぶん軽くしてくれた。おまけに、今日は快晴だ。10月の空は、いつになくとても高い。
昼休みは御堂筋を少し入ったところのお粥屋さんで、鶏団子粥を食べる。ついてくる揚げパンをお粥につけながら食べるのが、たまらなく美味しいのだ。ああ、極楽。隣に座ったカップルは休日のお昼を満喫中で、いろいろアラカルトを頼んで、紹興酒をチビチビやって気持ちよさそうだ。いいなあ!、わたしもビールくらい飲んでしまいたい、どうせ酔うことなんてないんだし、と思うけど、やっぱり止めておいた。スターバックスで珈琲をチビチビやる。マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む。
帰り、ビルの谷間に月が浮かぶ道を、とぼとぼと帰る。若者と中国人でごった返す道頓堀を抜けて、黒門市場でお買い物。先週に引き続き、珈琲豆を購入。今日はブラジルサントス・アマレロ。店のラジオは野球中継、タイガースは負けている。覚悟はしていても、やはりそういう瞬間に立ち会うのは辛いものだ。
夜、『自省録』の続きをパラパラ。

遠からず君は何者でもなくなり、いずこにもいなくなることを考えよ。また君の現在見る人々も、現在生きている人々も同様である。すべては生来変化し、変形し、消滅すべくできている。それは他のものがつぎつぎ生まれ来るためである。

マルクス・アウレーリウスは厳しいが、いつもどまんなかをついてくる。