なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

どこにいても眠い

休日。しかし、実家に帰る約束をしているので、気が休まらない。疲れが砂のように溜まっていくようだ。とにかく一日中、何をしていても眠気が襲ってきて、辛かった。電車の中でも、バスの座席でも、実家の畳の上でも、自宅のソファーに座っていても。終日、雲が多く、暗い空だった。
母の代わりに、銀行や郵便局に行ったり、買い物をしたり。途中、公園で休みをとる。曇っていて、寒い。砂場で遊ぶ子供たちや見守るお母さんたちがけっこういる。たぶんみんなわたしよりずっと年下なんだろう。わたしは今までいったい何をしてきたのか。どのように考えても、わたしが歩むことが出来なかった人生が目の前にある。公園で子供を遊ばせ、その横でおしゃべりに興じる人生は、今も昔も、自分の選択肢にない。多くの人が普通にやっていることを、何故できないのか。しかしできなかったからこそ、わたしは多くのものを得られたではないか。絶対的な、宝物のようなものを。
砂場に散らばるスコップやバケツを見ながら考える。公園には雀がいっぱいいる。雀はどこにでもいる。日本中に雀って何匹いるんやろう。寒くなってきたので、自転車を引っ張って、家に戻った。
家を出そびれて、今日は教室に行けなかった。一週間、また、全然勉強できなかったなあ。遺憾だ。
疲れ気味なので、天満橋からバスに乗って帰った。また、雨がパラパラ降っている。バスのワイパーがゆらゆら揺れるのを見ていると、また、眠くなる。夜遅く、Tが帰宅するのにあわせて、牛丼をつくる。午前1時に寝る。