なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

日々は記録される

17時半に会社を出て、島尾伸三潮田登久子トークショーを聞きに行く。トークショーの後、ギャラリーで潮田さんの『冷蔵庫』展を観る。
冷蔵庫の中を見ることは、その人がどんなものを食べているか見ることで、本棚を見ればその人がわかるとか言うけれど、冷蔵庫を見たってけっこうわかるで、とわたしは思う。食べ物の扱い方や、食べ物への向き合い方は、その人を語る。だから、潮田さんの撮った冷蔵庫の写真を見ると、冷蔵庫を見てるのではなくて、人間そのものを見ているような感覚になる。わたしはきちんと整頓されていない冷蔵庫が好きだ。ドアポケットの牛乳なんかをしまうべきところに、パックの漬物なんかが押し込まれてあると、ホッとする。入れるとこないから一時的に入れちゃえって感じで、ぶら下がっている。冷蔵庫を使うってことは生活をするってことで、生活とはつまり乱雑なものなのだ。
トークショーのとき、どうしてカラーで撮影されなかったのですか、という質問があって、潮田さんは、食べ物ってそんなにきれいじゃないから、とさらりと答えていた。カラーだときつすぎる、と。つくろわず、装わず、ありのままをさらしたものだからか、冷蔵庫の写真はモノクロが本当に似合う。
この日のもう少し後、11月の下旬に、同じギャラリーで、島尾伸三『生活』展というのをやっていて、それも、会社帰りにふらりと観に行った。
せまいギャラリーの中、作品数としては30点もないくらいかと思うのに、何周もして、何度も繰り返し見た。何度観ても、見飽きないのは、わたしたちが毎日過ごしている「生活」と同じ「生活」が、くっきり写し撮られているからか。わたしたちは結局死ぬまで、自分達の生活に飽きたりはせず、終わりを恐れてますますこれに執着していくが、これらの写真をずっといつまでもいつまでも観ていたいと思うのは、このこととどう関係があるのだろうか。そのことについてもう少し考えてみたい、と、帰り道々思っていたのを覚えている。
目的地を決めず、歩いてみること。