なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

いつもとおなじように

朝、目覚めて起きると、台所で茶をわかす。やかんに水を張って、沸騰するまでガス台の前でじっと待つ。その間、特別なことがないかぎりはたいてい、NHKFMの「バロックの森」を聴いている。「今日もいい一日でありますように」と、番組が終わる頃、湯が沸騰する。火を止めて、ティバックにつめた一保堂のほうじ茶を放り込む。白いティバッグは湯の中でユラユラとゆれて、湯を茶色に染めていく。珈琲を淹れている時間、そのまま蒸らして、しばらくしてから耐熱のガラス瓶に移す。香ばしい匂いがスッと立ち上がってきて、きちんと茶がはいったことに、わたしは少なからず満足する。そして、会社に出かけるまで、水につけて荒熱を取り、外出する直前に冷蔵庫に入れて、出かける。

日記を書いていなかった長い時間、ほぼそのようにして、朝の時間を過ごしていた。
そして今日も。

マイケル・ジャクソンが「あちらの世界にうつった」ことを、出勤時、ヒールをかばいながら坂を下っている途中で、マイケル・ジャクソンを心から愛していた友人Yからの電話で知った。よっぽどのことがないと、誰もわたしに電話などかけてこないので、着信画面に友人の名前を見つけたときは、何か突然のことが起こったのだと、すぐにわかった。マイケル死にはったわ、とYは言った。これで楽になりはったわ、と淡々としていた。原因は何か、とつぶやいたわたしを、そんなことどうでもいいんちゃう、とピシッと遮り、マイケルがもう何も考えんでよくなったってことが、そして、この世界にマイケルの歌がちゃんと残ったってことが、一番重要なんやわ、ときっぱりと言っていた。それが言いたくて電話をかけてきたのか、と思った。堺筋を行き交う、勤務あがりのホストとすれ違いながら、Yちゃんこれからどうするん?と聞いてみたら、寝る、とひとこと返事が返ってきた。

この世界にマイケルの歌がちゃんと残ったってこと。

会社帰りに、紀伊国屋に寄り、吉田秀和セザンヌ物語』を購入した。給料日だったので、チリ産のシャルドネを1本、駅前のワインショップで買った。鶏肉のトマト煮こみを食べつつ、ワインを2杯ほど飲む。

かつてあったことは、これからもあり、
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
『コレヘトの言葉』