なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

Let’s get on board 

午前6時、カラスの鳴き声で目が覚めた。時間を確かめてもう一度寝て、田辺聖子と一緒に気球に乗って空に浮かぶ、という夢を見て、また、7時過ぎにマンションの裏の寺の鐘が鳴って、目が覚めた。そんなに寒くないが、惰性でカーディガンを羽織って、玄関に新聞を取りに行く。朝焼けの空はほんのり白とオレンジが混ざっていた。さっき夢で見た空はどんなだったか思い出そうとしたけど全然だめで、わたしは夢日記を書く才能はない。田辺聖子は小さくてかわいい人だった、夢の中でも。

珈琲を淹れて、新聞を読む。書評には、ジュンクでほとんど立ち読みで読了してしまった『死刑でいいです』が取り上げられていた。

昨日、帰りにジュンクに行ったのは、その本を読むためではなくて、『子どもと昔話』のバックナンバーをチェックするためだった。5〜6冊あることを確認して、中身をざっと読んでとりあえず、昨日は引き上げてきた。そして、家で鶏団子鍋をつくって、ビールを飲んだ。

この線路を降りたら 全ての時間が 魔法みたいにみえるか?

昨日の昼、会社で、会議室の鍵を取りに総務部のある7階に行ったとき、ふと窓を見たら、御堂筋のイチョウ並木が、淀屋橋の北あたりまでずっと見渡せた。金色の葉の下を、ゆらりゆらりと人が歩いているのを見ていると急に何年も何年も忘れていた、小沢健二の『ある光』のフレーズが、口をついてでてきた。

この線路を降りたら 赤に青に黄に 願いは放たれるのか
いまそんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに

昨日の午後からずっとこの唄が頭の中に渦巻いている。帰って確かもっていたはずの8インチCDを探してみるが当然なくて、あの縦長の懐かしいCDは今や手元には『ロングシーズン』しか残っていない。

この線路を降りたら 虹を架けるよな 誰かが僕を待つのか

そして、今日一日もずっと、口ずさみ続けていて、小沢健二がうたっていた当時よりもずっと切実に、この唄を自分の側に引き寄せてうたうことができるなあと思う。そしてそのことを自分だけの日記にではなくて、ここに書きたくなった。
きっとわたしはたぶん、線路を降りたくなっているのだろう。小沢健二がいうところの「神様」は必ずいると、わたしも今は思っている。

曇り空のまま、今日は雨は降らなかった。今日は、実家の行き帰りの電車の中で、ガルシア・マルケスの『生きて、語り伝える』と、渡辺公三『闘うレヴィ・ストロース』を交互に読んでいたのだが、頭がおかしくなりそうだった。

強烈な音楽がかかり 生の意味を知るようなとき
僕の心はふるえ 熱情ははねっかえる 神様はいると思った 僕のアーバンブルースへの貢献