なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

子犬みたいに眠ってる

年が明けて、2010年になった。2010年?全くピンとこない。年を経るにしたがって、どんな未来も想像できにくくなった。わたしには、今ここにある現在しかない。そして、覚えていたい過去が思い出として少しだけ、手元にある感じ。

今年の目標や抱負を並べてみようと思うけど、よくわからない。目標を立てている間に一年が終わっていくみたいで、とにかく全てが滝のようにダッと流れていくのだ。

新年になって、初めてしたことは、つまり1月1日の午前0時に、いうことだが、花を挿している瓶の水を入れ替えた。去年の秋に谷町六丁目に店を開いた、ちいさな花屋さんを偶然、通りかかったときに見つけて、時々そこで花を買うようになった。なるべく小粒で、そっとささやかに咲いているような花を2本か3本求める。いつも花の名前を教えてもらうのだが、「花オンチ」なので、絶対に覚えられない。今度からメモを取るようにしよう。おお、今年の目標がひとつ見つかった。
いま、読書部屋に活けているのは、確か蘭の一種です、と言われたような花の気がする。ピンクの4枚の花びらが、寄り添うように下を向いて咲いている。かわいいと思う気持ちに、名前はいらない。

その後は、仕事で遅く帰ってくるTのために、年越し蕎麦の出汁をしこんで、明日の雑煮の下準備をして、午前3時まで寝床で日高敏隆セミと温暖化』(新潮文庫)を読んだ。今年は小説以外の本も、今まであんまり読んでこなかった、歴史とか科学とかルポとかそういうジャンルのものも、読んでみたい。あ、また目標のようなものが出てきた。書いているといろいろ出てくる。

一旦寝て、朝になってからは、掃除をした。元日から、バタバタと掃除機をかけて、そこらあたりを簡単に拭く。あくまでも簡単に。

百年の孤独』を書いているときのガルシア=マルケスは、ドビュッシーの『前奏曲集』と、ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』しか聴いていなかった。この2枚のレコードを擦り切れるまで聴いた、と『生きて、語り伝える』に書いてあった。ドビュッシーは持っていないので、『ハード・デイズ・ナイト』を、モノボックスから取り出して、聴く。去年した様々なお買い物の中で、買ってよかったと思ったのは、この『MONO BOX』だ。『生きて、語り伝える』ももちろんよかった。

意識しておかなければいけないのは、出来事はすでに起こっていて、人物はそれを回想するためにそこにいるだけだ、ということだ。したがって、書き手はふたつの時間を取り扱わなければいけないわけだ

最近読んでひさかたぶりに、ああこれはいかんと思って、涙があふれて困った本は、高野文子『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』(福音館書店)だ。より多くの人に、読んでほしい。わたしたちは、わたしたちのまわりにある、ほんのささいな、ほんの少しの優しさによって、幾度も幾度も救われるのだ。

一日の夜は、小山田圭吾の『中目黒ラジオ』と、坂本龍一の番組を聴きつつ、グルジアの白ワイン、ツィナンダリを飲んで、星野道夫旅をする木』(文春文庫)を読みながら、更けた。坂本龍一とぼそぼそぼそぼそ喋ってる、この煮えきらない男は誰やねんと思って聴いていたら、番組最後に浅田彰であることがわかった。

とりあえず今年も、『胸のリズムを信じて まわるように まわるように歩きたい』と思います。

しかし、わたしはいったいこれを、何のために書いているんだろう。