なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

あいたいひとなら

天気予報では晴れるはずだった。でも、いつまでたっても晴れなかった。窓の外を黒い雲が流れていく。強い風が吹いて雲を流し、隣の寺の庭の木を揺らす。赤く染まった葉っぱは、それでもまだ散らない。
午前9時、洗濯物を干し終えた後もベランダにしばらく立って、外の様子を眺めていた。ムルソーごっこ。『異邦人』は真夏だったけれど、こちらは晩秋なので、寒くてそんなに長くはいられない。おじさんがひとり、アルミ缶をつんだ自転車に乗ってよろよろと通り過ぎて行ったほかは30分ほど、誰もベランダの下を通らなかった。

ミランダ・ジュライいちばんここに似合う人』を読む。良い。現実なんか消えてなくなってしまえ。
図書館に返却しなければならないので急いで読む。毎日のように本を買っているというのに、何故借りてしまうんだろう。そして何故借りた本ばかりを読むんだろう。

午後からは梅田に柳家花緑の落語を聴きに行く。実はわたしは柳家花緑のことが、ものすごく好きなのだ。ということをきょう、あらためて実感した。すごく好き。どうしよう。
例えば、きょう聴いた『子別れ』なんか、今まで数人の噺家によって何度となく聴いているわけなのになんで、こんなに心が揺さぶられるのだろうか。ぽろぽろと泣いてしまったりして。落ちまで知ってるのに。『大切なのはプロットではなくプロセスだ』というジム・ジャームッシュの言葉をしみじみ思い出す。それでどうなったか、は問題ではない。ストーリーとか、あらすじとか、ハッピーエンドかどうかなんてどうでもいいわけで、ときどきに一瞬だけ感じるこの、うわっあかんかもこれ、って思うぐっとくる気持ち!みたいな、この、ここだけ!みたいな、なんか全然上手くいえないんだけど、結局は、わたしたちの心を捉えるのはいつでも一瞬なんだよな、その積み重ねなんだよ、ということを思った。

一緒に行った会社の人とはそんな気持ちを分かち合えるはずもなく、そのことはなにも話さずビールだけ飲んで帰ってきた。

ここに文章を書きました。とても良い本なのでみなさん買ってください。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/pokan/
わたしがどこにでも本名で文章を書くのは、いつかあのひとに見つけてもらえるかもしれない、と思うからで、それ以上の理由はなにもありません。