なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

きみの夢をみたのに

毎朝、アラジンストーブにマッチで火をつけるたび、強烈に煙草が吸いたくなる。マッチを擦って、まだ暗い朝の部屋にジュッという音とともに浮かび上がる炎と、硫黄みたいなにおいが、起きぬけに毎日、煙草に火をつけていた懐かしいあの頃を思い出させる。
煙草をやめたのは、母が癌とわかったときだ。わたしが煙草をやめたら、母の病気は治るし、再発しない、と自分で自分に賭けたのだ。その後、母はずっと元気にしている。だから、わたしはもう煙草をすうことはできない。
母が元気でいることと、わたしが煙草をすわないことには、何の関係もない。絶対に関係なんかない。でも同時にものすごく関係がある。わたしだけの、決して抗えないいくつかの人生のルール。それを、来年も生きていくのか。

きょうの京都は、雪がずっと舞っていた。京阪電車が淀にさしかかったとき、急に視界が真っ白になった。競馬場のむこう正面、丸裸になった木々に、降り積もる粉みたいな雪。昼間はスニーカーで踏みしめるたび、ぎしぎし片栗粉みたいな音を立てていたけれど、夜になるととけて、タイヤの泥にまみれてアスファルトを汚していた。

行き帰りの京阪で、小川洋子『原稿零枚日記』を読了した。今年最後の読了本。最近の小川さんの小説の中では一番好きだ。

いいか、お前の話を聞きたがっている人間などこの世に一人もいないのだ。付け上がるんじゃない。

『原稿零枚日記』の後、『考える人』の特集、「紀行文学を読もう」を読んでいて、池澤夏樹が熱く語っていたので、自宅に帰り着いてのち、本棚を掘り起こして、ヘロドトス『歴史』(岩波文庫)を発掘してきた。2011年最初の読書はこれか…、と思って、窓の外を見る。風も雨もやんで、車の音もほとんど聞こえてこない。大阪はたぶん一日、雪は降っていなかったのだろう、ベランダは乾いていて、枯葉が朝見たままの姿でころがっている。

今年はまた引越しをした。いったい何度引越したら気がすむのか、何冊あるのか気持ち悪くなるので数えたこともない膨大な量の書物を段ボールにつめては出して並べて、つめては出して並べて、2007年からもう3回もやった。うちに見積もりに来る引越し業者はどこも、本棚の本を見ると息をのんで、高めの額を算出し、段ボール200枚は要りますかね、などという。今回は、前のマンションから歩いて3分の場所への転居だったのに、3万円少々とられた。
でも、ここは大阪で一番住みたい場所だった。今も、一年の終わりを告げる寺の鐘が、しんしんと冷える夜に響いている。きっと、ここ以上のところはたぶんもうないと思うので、とても満足している。越してきて、本棚には一番に織田作之助全集を並べた。

今朝、見た夢は、いい夢だったな。もう内容はなにも思い出せないけれど、いい夢だったことだけおぼえている。夢でならいつでも会える。だから、わたしたちは大丈夫なのだ。