なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

謎の女B

お正月に、今年はもう少しだけマメに、そうだなまあ一週間に一回くらいは、ここに日記を書こう、などと思っていたけれど、ぼーっと口を開けて過ごしていたら、もう一月も末だ。
今月って明日で終わりやん、と、今朝、歯を磨きながら、冷蔵庫にマグネットでとめてある野川かさねのカレンダーを見て、気がついた。びっくりやね、いったい時間ってなんなんだ。特に時間を時計で考えたときの、この馬鹿馬鹿しさ。時間は時計なんかじゃないし、わたしはそんなものにもう振り回されない。

とりあえず、一ヶ月一回更新を目指そう。志は高く、目標は低く。

今朝、ラジオで「米朝よもやま噺」を聴いていたら、イーデス・ハンソンが出ていて、心斎橋から新大阪までくらいは余裕で歩きまっせ〜、人はええってびっくりするけど、実際歩いてみたらたいした距離じゃない、いつもだいたい同じ道を歩くからそんなに発見はないけどそれでも、へえー、街ってこんなんかあって、面白いこといろいろあるよ、と話していて、そうだそうだと強く頷いた。イーデス・ハンソンはいいことを言う。

わたしもほぼ毎日、ipodでがんがん音楽(きょうは渚ようこ森山大道の写真展でやったライブ盤「あなたにあげる歌謡曲」をリピートしていた)を聴きながら往復2時間弱の道を歩いているけれど、とても楽しい。無味乾燥な地下鉄などに乗るより、ずっといい。
歩いているといろんなことを考えるけれど…、例えば、全く返信のこない、メールのこととか。やっぱりメール、書かなきゃよかったなあ、でも、書きたかったしなあ、とか、思ってると泣きそうになって、そんなときは暗い空を見上げて、星か飛行機の灯を探すことにしている。上を向くと涙がこぼれないって本当なんだ、坂本九はえらいね。

先週くらいから『荒涼館』を読んでいて、今、2巻の終わりかけだが、どうにも物語に乗り切れないのはどういうわけだろう。村上春樹はおもしろいと言っていたのに。
寝る前は、フェルナンド・ペソア『不安の書』を数ページずつ読んでいる。ペソアのこと、他人と思えない。ペソアが知りたかったのは、どうにもならない自分のこと。どう取り扱っていいかわからない、空洞なくせに時に情熱的な自分自身のこと。

結局わたしは、ごくわずかなもので満足するのだ。雨がやんだこと、この幸せな南部に気持ちのよい太陽が出ていること、黒い染みがあるのでいっそう黄色いバナナ、それを売っている人の話し声、銀通りの歩道、黄金色に輝く緑かかった青色をした、奥に見えるテージョ川、宇宙のこの親しみにみちた一隅のことごとく。

明日もがんばろう。って、がんばれるのか?