なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

さびしき口笛を吹きならし

血の味がする。麻酔をしたのが2時間前で、もうそろそろ効き目がなくなりつつあるのか、傷口が痛みはじめてきた。

数年ぶりに歯医者通いをしていて、今日、というか、さっき、歯を抜いた。今日は激しい運動はやめてくださいね、と、歯科衛生士というのだろうか、歯医者ではないんだけれど、歯医者の横で助手みたいなことをしている、ピンクの服を着た女の人に言われた。お酒を飲むのも、お風呂もできればやめてください、それと…、外はこんなに暖かいのであまり汗をかくのもよくありませんね、と言っていたが、暖かいというようなレベルだろうか、エアコンのきいた歯科医院の窓から見えている、はるかむこうの大阪城は、熱気で揺らめいて見えていた。

きょうは、朝から空が真っ青に晴れていた。午前5時の空気は澄んでいて、久々に、暑さとは別の、さわやかな風に起こされた。
ようやく鳴きだした蝉の声と、カラスの鳴き声と、木のざわめきを聞きつつ、珈琲をいれて、トーストをかじって、シーツを洗って、先週末、ジュンク堂で目を奪われ、数ページ立ち読みして、あかんわ良すぎて倒れそう、と慌てて買った、エルンスト・ユンガー『パリ日記』(月曜社)を読んで、くらくらしたりした。
そして、家事をする間は、朝日放送のラジオをずっと聞いていた。わたしが今一番、応援している人は牧野エミなので、水曜日の朝はラジオを聴くことにしている。きょう、この日記を書こうと思ったのも、牧野エミのことを書いておきたかったからかもしれない。

午前中は、いつまでも涼しかった。この涼しさは、きっときのうの雨のせいだ。
きのうは、思わぬしっかりとした雨が降り、これほどに降ると思わず洗濯物を干して出てきていたわたしは、御堂筋がしっとりと雨で濡れていくのを、会社の窓から恨めしく眺めた。しかし、雨が降っていいこともあった。雨上がりの夕方に、東の空に虹が出た。長堀通を東に向かって歩いているとき、前方に大きくかかった虹を見て、ただ単純に、ああきれいだな、と思った。
虹を東に見たまま、空堀商店街まで通りを南に上がる。わたしと一緒に虹もついてくる。通りでは、ゆうパックの配達の男の人や、おばちゃんや、仕事帰りの女の人たちが、立ち止まって空に携帯電話を向け、虹の写真を撮って、メールで送ったりしていた。
携帯電話があるから、自分がいま見ているものを、いまここにいない誰かに見せることができるようになった。それはとてもいいことだ。
前は、同じ場所で同じものを見ることが大事、と思っていたこともあった。でもいまは、わたしがいま見ていて、あなたにも見てほしいと思うものを、本当に見せることができるなら、携帯電話だってなんだって使いたいと思う。それでいいじゃないかと思う。
わたしは虹の写真を撮らなかった。そのかわり電話をかけて、虹が出ていることを伝えた。あの人は、虹の出ている場所にはたぶんいないから、ここにそのことを書くことにした。

書いている間に、麻酔が切れた。痺れがなくなり、じくじくとした痛みがある。そして、口の中は血の味がする。