なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

ブルペンで肩をあたためる

午前5時起床。昨日は、畳んだ布団に上半身を預け、うつ伏せに海老ぞりになって寝たためか、腰が痛くてしょうがない。なんでそんな寝方をしたのか、もう忘れた。痛む腰をさすって、えっちらおっちら、朝刊を取りに、外へ出る。
朝焼けの空はよどみなく澄み渡り、とても信じられないが、きょうは午後から雨が降るらしい。和歌山ではもう降っていると、NHKラジオでは言っている。自然に感性や感情がないことの、恐ろしさと潔さを、しみじみと感じる日々。

ゆうべのすき焼きの残りに、ごはんと卵と葱を入れておじやにして、朝食に食べる。おじやと、バナナとミルク珈琲。

痛む腰を抱えて出勤。きょうは、Mさんが子どもが熱を出したため休み、Tさんは風邪をひいて喉が痛いため休み、Oさんは足を怪我したため午前半休、で、人があまりいなかった。わたしも腰が痛いと言って休めたんじゃないか。たぶん休めただろうが、わたしのちっこい、取るに足らないつまらない責任感が、たぶん休ませないだろう。わたしの有休はたぶん今、一ヶ月分くらい溜まっている。

昼休みは、スターバックスツヴァイク『チェスの話』(みすず書房)を読み、岡部恒治『通勤数学1日1題』(亜紀書房)から、1題考える。「公式を使わず台形の面積を求めるには?」という問題。数学の中では図形が一番好きだったので、すぐ図形の問題を考えたくなってしまう。うーんと唸るうちに昼休み終了。このままずっとスタバで唸っているわけにはいかんのだろうか。空はすっかり曇り空。

19時まで残業して退社。夕方、上司と下期の業務についてかんかんがくがく話して疲れた。泥の中にいる者を引き上げようと思ったら、楽な高いところから手を差し伸べているだけではだめなんですよ、自分も泥の中にどっぷり浸かってから、いっしょに上にあがろうとしないと、誰も上にあがれないんですよ、等と言うことを喋り、自分でも何が言いたいのかわからんようになった。けっこう抽象論が好きだよね、と上司に言われる。まあ、そうかもな。

とうとう雨だ。右手には傘、左手にはHさんにもらったゴーヤとピーマン、肩には本でずっしり重い鞄を下げ、スーパー界の三月書房とでも呼びたい、黒門市場の千成屋によって、食糧を買い込み、家に帰って、ビールと、味の素のギョーザ、枝豆、冷奴に梅干と紫蘇をのせたもの、油揚げとえのきだけの味噌汁で、ゆっくり夕食。きょうは、あの辛気臭いタイガースの試合がないようなので、よかったよかった、ビールも美味しい。

これから、洗い物をして、シンクをみがき、お茶でもわかして、『文学界』9月号の上野千鶴子の最終講義でも読もうと思う。

日記ってこんな感じか。こんなのでいいなら、ずっと書き続けることができるかもしれないな。