なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

It’s tough being a woman

2005年の今日、9月29日に、阪神タイガースがリーグ優勝したことを、さっき、神宮のヤクルト戦ラジオ中継を聞いていて、知った、というか、思い出した。
今年が、2005年と同じ曜日の並びだってこと、知ってた?
誰も知るわけない、そんなことで胸がしめつけられて苦しんでるのは、世界広しといえども、わたしくらいだ。
要するに、2005年9月29日も木曜日だった。9月1日は木曜日で、6月13日は月曜日だった。2005年も今年もそうだった。ただそれだけのことだ。

夕ごはんに、トマト入りのカレーを作って、枝豆を茹でて、豆腐とオクラのサラダも添えて、サッポロの黒ラベル小瓶をキューッと空けて、ひとり部屋でニック・ドレイクのアルバムを聞きながら、「昔のこと」を思い出していたら、いてもたってもいられないほどさみしくなって、どうしていいかわからなくなった。どうしていいかわからないので、昨日買った『パステルナーク全抒情詩集』を読んだら、少し落ち着いた。ここしばらく、パステルナークの詩を読んでいなかったせいか、1行1行が、スポンジみたいに吸収して沁みていく。

わたしは 日々の流れに
一族の流れをころがす生へと投げ込まれた者
鋏で水を切るよりももっと難しく
わたしは自分の生を裁断しなければならない
幻想を恐れるな 苦悩するな 他力のままに
わたしは 愛し 考え 知っている
見よ 生きることの透かし織は
河をも別の存在とは考えてはいない

今まで未知谷から刊行された6冊の詩集が1冊に集まった本で、2段組で詩がぎっしり詰まっている。詩集は写真集と同じで、ページに空白が多いほうがいいと思う。見開きに1つの詩、1枚の写真、で構成されているほうが、それぞれの作品が立ち上がってくる。詰め込みはよくない。
来月は、アルセニー・タルコフスキーの詩集が出る。一日も早く手にしたい。月日よ、早く過ぎ去れ!

2005年9月29日、わたしは、ある人からのメールを待っていた。待って待って、待ちくたびれる少し手前の頃だった。どんな顔をして待てばいいのかずっとわからなくて、来ないと絶望してひどく打ちひしがれる自分がかわいそうで、紛らわせるために、いつも賭けをした。きょう、タイガースが優勝すればメールが来る。29日はそんな賭けのこともあって、絶対、タイガースに優勝してほしかった。そして、それは実現したが、日本シリーズで、タイガースが惨憺たる悲惨な内容で全敗したのは、わたしの邪な応援が災いしたのだと、自分を責めたりした。愛するものを利用するなんて、最低だと。
懐かしいか?そんないろいろなことはもう、「昔のこと」、なんて言葉で処理されてしまうのだろうか。

親指ピアノのサカキマンゴーのアルバムを聴いている。音楽が止まると、裏の寺の庭で、いろんな種類の虫が鳴いてるのがよく聞こえる。今夜は曇ってて、月は見えない。窓から入ってくる風が少しだけ冷たくて、もうすぐ10月だ。