なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

おしょうがつにっき

風呂をわかし、湯船に柚子を浮かべている間に、新しい年になった。毎年何度も年があらたまり続ける。年があけたからといって特別なことは何もしないけど、日記でも書いてみようかな、と思いつくことくらいが、年末年始の恒例行事だ。しかし、これはもはやもう、日記ではないが。

柚子湯につかりながら、除夜の鐘をきく。こう書くと風流なようだが、家の裏手のふたつの寺が同時に鐘をつくので、二重奏のようになってちょっとうるさい。湯船に浮かぶ柚子を手に取りギュっと絞ると、果汁がほとばしり、年末に酔っ払って階段でこけた時にできた膝の傷にじんじんと染みる。なんだか恥ずかしくてあんまり人には言ってないけど、去年もおびただしい量の酒を摂取した。毎年確実に増えている。今年こそ適量にしたいと思うけど、適量がどれくらいの量のことをさすのか、もうわからなくなっている。

風呂であたたまった後、『群像1月号』に掲載されている堀江敏幸『燃焼のための習作』を途中まで読む。珈琲を淹れてクリープをいれて、板チョコを食べるかどうするかまよったりしながら、語り合っている小説。堀江さんの『なずな』はあちこちで評価が高く、どんどん小説書くのが上手くなってはるなあ、と感心することしきり。『なずな』もよかったが、わたしは『燃焼のための習作』のほうが好み。って、まだ前半ちょっとしか読んでないけど。BGMはジョー・ヘンリープロデュースのミシェル・ンデゲオチェロの新作『ウェザー』。闇の音楽。ジョー・ヘンリーの仕事にはずれはない。それは堀江敏幸と似ている。
午前2時頃、寝る。

朝になったので起きる。実家でたくさん蕎麦をもらったので、にしん蕎麦をつくり、ストーブの上で御餅を焼いて蕎麦にいれ、雑煮がわりにする。あとはおせち料理をつまみつつ、熱燗をのむ間、NHKラジオで松たか子村上春樹の短編『かえるくん、東京を救う』を朗読する番組を聴く。

正直に申し上げますが、ぼくだって暗闇の中でみみずくんと闘うのは怖いのです。長いあいだぼくは芸術を愛し、自然ととも生きる平和主義者として生きてきました。闘うのはぜんぜん好きじゃありません。でもやらなくてはいけないことだからやるんです。きっとすさまじい闘いになるでしょう。生きては帰れないかもしれません。身体の一部を失ってしまうかもしれません。しかしぼくは逃げません。ニーチェが言っているように、最高の善なる悟性とは、恐怖を持たぬことです。片桐さんにやってほしいのは、まっすぐな勇気を分け与えてくれることです。友だちとして、ぼくを心から支えようとしてくれることです。わかっていただけますか?

何度読んでも(聴いても)、この小説の中で、この文章が一番好きだ。まっすぐな勇気を分け与えること。そして心から支えようとすること。

この番組の後、「名曲の小箱」でマーラーアダージョが流れたあと、次の「みんなのうた」で『ウメボシジンセイ』という唄がかかって、この唄がマーラーに負けず劣らずとてもいい曲で、ちょっと涙が溢れてしまったのには我ながら狼狽した。年明け早々、NHKラジオ(しかも第二)にやられっぱなしなのだ。

昼から散歩に出かけた。近所の神社におまいりする。雨の予報もあったが、雲間から日差しがさし、日向はとてもあたたかだった。
すぐ帰るのはもったいないので、ipodニーナ・シモンを聞きながら、アスファルトを踏みしめる。ポケットに小銭と部屋の鍵を入れているだけで、手ぶらで歩く。何も持たないっていいわ。川崎彰彦の小説を読んだときみたいな気持ちになる。自分の持ってるものをどんどんそぎ落としていきたい、もう何も欲しくない、もう何も買わない、などと考えながら歩いていたら、歩道の脇に落ちている100円玉をひろった。
ちょうど信号を渡ったところに神社があったので、ふらふらと入ってみる。小さな神社だが、境内には4人くらい人がいた。わたしの前にいた女の人が、この神社って一生の一度の願いをきいてくれる神様がいるんやって、と連れの人に言った。へえそうなん、一生に一度のお願いって何にしよ、そやろ迷うやろ、どっちにする?、どっちってそんなにたくさんお願いがあるんかいな、そらあるわ、あれとあれやん、何やねんあれとあれって、と話し続けていっこうにお参りしようとしないので、わたしは彼女らを追い越し、拾った100円玉を賽銭箱に投げ入れて、自分の「一生一度のお願い」をした。拾った100円で叶えてもらおうとするには、もう難しいお願いなのかもしれないが、それは迷うことなくいつでもわたしの「一生一度のお願い」なのだ。それしかない。それ以上のことは、もう何も望んでいない。

自宅に帰り着き、今度はNHKFMの『ウィークエンドサンシャインウインタースペシャル』を聴きながら、これを書いている。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/pokan/
2号にも書かせてもらいました。意味のないことほど、面白いことはありません。