なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

あしたの天気はどうですか

リビングのテーブルに肘ついて、珈琲を飲みつつ家の窓からぼうっと外を眺めていたら、斜め向かいのマンションのベランダに干された、水色の毛布が風に揺れていた。10分か15分の間、ずっとずっと揺れていた。
わたしが水色の毛布を眺めていたのは早朝で、それから掃除して、買い物行って、じゃがいも茹でて、本読んで、ご飯食べて、クリーニング屋と図書館まわって洗濯物を取り入れて、やがて夕方になって、朝と同じテーブルの位置に落ち着いて外を眺めたら、まだ水色の毛布は、朝と同じように風に揺れていた。それを見たら、突然なんか書きたくなった。だから書いた。

10月は、ビルボードでのマデリン・ペルーのライブではじまった。
マデリン・ペルーは、写真で見るよりもずっと、堂々とした人だった。体格も、まあ、「でかい」わけだけど、あれは太っているとは言わない。一体、歳はいくつなんだか、まだ若いだろうに風格みたいなものがあった。シンプルなジャケットを羽織って、裸足でギターを持っていた。唄も声も当たり前に自然で、ラブソングを唄っても、全然ベタベタしてこない。人を愛して苦しむのは仕方ないことよ、だってそういう成り立ちのものなんだもの。

1日からオーガニックなステージを体験したので、今月は、そうだ、なんていうかこう、簡潔に生活しよう、さらっとシンプルな毎日を送ろう、あっさりとして、あんまり考えすぎないで、そうだそうしようと、思っていたのだけれど、4日に元町映画館で観た映画が『非情城市』だったので、それから後は、もうあっさりした生活はできず、台湾の歴史について、図書館に行って調べたりなど、濃いことをしてしまった。

非情城市』を観たのは初めてで、うーん、確かにさすがにうまい、流れるようなのに印象は強烈で、すごい映画だった。レコードをかけながら、筆談する男女のシーンの撮り方はうなるほどうまくて、自分の気持ちを伝えるために文字を書きつけるという行為の一生懸命さを目にするだけでも、この映画を観る価値がある。
主役の人、トニーレオンに似てるなあ、瓜二つやなあ、と感心してて、映画館の人がくれた解説書を見たら、本当にトニーレオンやった。そんなことも知らずに観てた。

13日のクライマックスシリーズカープ戦で、桧山が最終打席でライトにホームランを打ったのには、全く全くびっくりした。普段、テレビは全く観ないわたしが、その時たまたま実家に帰っていて、ゲームを見られる状況だったことも、何かに差配されていたような気がした。
桧山が打ったとき、わたしは泣かなかった。あとから友人が「泣いたよ〜」とメールを寄越したけれど、わたしは涙の一滴もでなかった。でも心を動かされなかったわけではなくて、たぶん涙も出ないほどびっくりしたんだと思う。
野球選手の夢をよく見る。出演回数の多いのは断然、仰木監督と野茂で、夢でふたりは絶対、近鉄のユニフォームを着ている。オリックスでもドジャースでもなく、胸に「Buffaloes」と記されたホーム用のユニフォームで、キヨシローも時々被ってた、岡本太郎デザインの、シンボルマークつきの帽子を被っている。
ホームランを打って、セカンドからサードの間を走っている桧山を見て、この人もこれから絶対、わたしの夢の中ではずっと、背番号24の縦じまユニフォームやろうな、と思った。どれだけ年老いても、どれだけ月日がたって、いろんなことがどんな風に変わっても、ずっと今のまま、縦じま24番やろうな、と思った。

試合の後、大阪に戻って、繁昌亭で落語を聴いて、その後近くの、フランス料理でもあるし、イタリア料理でもあるような、キリンジ兄に似た男の人がひとりでやっているお店で、ごはんを食べた。この店に行くのは2回目だけど、いつも何を食べても美味しい。特に、この日に食べた、天然ヒラメのグリルは絶品で、こんがり焼けて、中はふんわりジューシーで、ソースの味は何か忘れたけど、とにかくすごく美味しかった。友人とふたりでむしゃむしゃ食べた。友人が、わたしこの先どうがんばってもこんなに上手く魚を焼くことはたぶんもうできないから料理について努力するのは金輪際やめる、みたいなことを言い出して、料理とは何の関係もないのに、後片付けと掃除ももう嫌になったから食器洗い乾燥機とルンバも買う、と息巻いていた。
美味しいものを食べるのはよいことだ。生活を打開できる、かもしれない。

こうやって書いている間に、とっぷり日が暮れ、いつのまにか、水色の毛布も取り込まれていた。夜に、なりました。

「ぽかん」に、また文章を載せていただきました。
http://pokan00.blogspot.jp/
よくこんなすごいのつくれるなー、と、これまたシンプルに驚いてしまう、すばらしい出来栄えの本です。