なんでもよくおぼえてる

人生はからっぽである

 2666

いつだったか日にちは忘れたけれど、難波か梅田のジュンク堂でロベルト・ボラーニョ『2666』(白水社)を買った。6600円もしたけど、読みたかったので躊躇しなかった。ずっしり重い本が入った袋をかかえて帰ったことは覚えている。購入してしばらくは本棚に飾っていた。
がっつりした小説が読みたかった。読んでいる間、その中に埋没し、その中で生きられるような小説が読みたかった。

2月13日(水)
前日の夜に寝床で、図書館で借りた津村記久子さんの『ウエストウイング』を読み終えた。面白かったなあ。すぐ誰かがつまらない映画にしそう。
まじめに生きることと、斜めに生きることは違うんだ。不器用ながらも進んでみれば違う景色が見えてくるかもしれない。
本日より、いよいよ『2666』を読む。分厚すぎて持っているブックカバーでは間に合わず、表紙を取って持ち運ぶ。冒頭2ページでもう世界に引き込まれる。いつものことながら、胸がワクワクする長編小説の読み始め、ボチボチ舐めるように読もう。
20時まで残業。疲れてふらふら帰る。目が乾いてコンタクトがごろごろする。なにをつくる気も起こらず、阪神百貨店で弁当を買って、家で野菜スープをつくり、ビールを飲む。

2月15日(金)
東京日帰り出張。6時23分の新幹線に乗る。朝とは名ばかりで外は真っ暗。地下鉄も新幹線も、スーツを着ておそらく仕事場に向かうのであろう、たくさんの人が乗っていた。いろんな人がいろんな時間帯に生きている。
仕事で使用する資料の他に、『2666』を持っているので、かばんが恐ろしく重い。
新宿より小田急線に乗る。小田急線なんて、生まれて初めて乗った。ドアの傍に立って、外を眺める。参宮橋で降りて、ポテポテ歩いていると、四角い眼鏡をかけたおばちゃんに、明治神宮はどちらの方角?と道を聞かれる。知らん。知らないので知らないと答える。まあ、とちょっとびっくりされ、だいたいでいいのよ、だいたいの見当を教えてくれない?と言うので、面倒くさくなって、きっとこっちじゃないですか、と自分の行きたいほうに歩いていくと、こっちかしら、そうかも、こっちかもね、と言いながら眼鏡もついてきた。歩道橋をこえると上手い具合に明治神宮らしき緑が見えてきて、まあよかった、やっぱりこっちだった、ありがとうねえ、と感謝される。行き当たりばったりの人生には偶然の幸運がついてまわる、こともある。
研修は夕方に終了した。大して身についたとも思えないが、終わったのでもういい。帰りの新幹線にビールとカツサンドを買って乗り込み、『2666』を新大阪に着くまで、がっつり読んだ。第一部の4人の大学教授が不思議に交わって、不思議にすれ違っていくところが、なかなかスリリングだ。ビールを飲み終えた沼津あたりから20分ほど寝てしまう。

2月18日(月)
雨。代休。月曜日の休み、すばらしい。みんなが働いているのに休めるというところが、さらにすばらしい。雨でも仕方ない。布団でしばし『2666』を読む。きょうは雨水。これから春にむかっていくところだけれど、まだまだ震える寒さ。午後は掃除など行い、日暮れからは家の近所の喫茶店で、珈琲を飲みながら『2666』を読む。
この小説をとおして一番好きだったかもしれない第2部「アマルフィターノの部」を読み終える。読書好きの薬剤師にアマルフィターノがどんな本が好きか、どんな本を読んでいるのか訊ねる。薬剤師は『変身』『バートルビー』『純な心』『クリスマス・キャロル』が好きで、今は『ティファニーで朝食を』を読んでいると答える。アマルフィターノは『純な心』と『クリスマス・キャロル』は短編であって本ではないとし、その教養豊かな薬剤師が大作より小さな作品を好んでいることに、少なからず失望する。『審判』ではなく『変身』を、『白鯨』より『バートルビー』を選んでいることに。

未完の、奔流のごとき大作には、未知なるものへ道を開いてくれる作品には挑もうとしないのだ。彼らは巨匠の完璧な習作を選ぶ。あるいはそれに相当するものを。彼らが見たがっているのは巨匠たちが剣さばきの練習をしているところであって、真の闘いのことは知ろうとしないのだ。巨匠たちがあの、我々皆を震え上がらせるもの、戦慄させ傷つけ、血と致命傷と悪臭をもたらすものと闘っていることを。

『2666』が素晴らしいのは、こういう細部だったりする。

2月23日(土)
右腕が痛い。連日、お弁当とお茶入りの水筒と『2666』を鞄に入れて通勤しているためと思われる。特に満員電車で読むのが辛い。ほぼ辞書を振り回しているのと同じことなのだ。わたしの周りに無言で立って地下鉄に揺られている善男善女たちには、さぞ憎憎しい気持ちで見られているだろうが、通勤時は貴重な読書時間なので、我慢してもらうしかない。わたしも腱鞘炎と闘いながら本を読んでいるんだよ。戦士のようなものなんですよ、いわば。

アマゾンより『はなればなれに』のDVDが届き、早速プロジェクターで壁に投写して、楽しむ。何度観ても楽しい映画というものがあり、『はなればなれに』はその代表格だと思う。

2月25日(月)
だんだん『2666』の残りページが少なくなってきている。「犯罪の部」を終え、とうとう最終章「アルチンボルディの部」へ。「犯罪の部」では、おびただしい人が殺されて無残に捨てられた。ただ淡々と殺人が行なわれていく。
空気が冷えて、びんびんに寒い。北のほうではおびただしい雪が降っているらしい。アカデミー賞が発表され、会社では昼休みをつぶして、組合の職場集会があった。いつになればゆっくり本が読めるのか。明日こそ定時で帰ろう、と誓いながら、ままならず一日が過ぎる。
いつも分厚い本持っているよね、と帰りのエレベータで同僚に言われる。面白い?と聞かれたので、今は、女の子が次々とレイプされて殺されて捨てられてるところを読んでる、と答えると、黙ってた。コメントできないなら聞かなければいいのだ。
夜、珈琲をいれて、再発された、かせきさいだぁのCDを聴く。

2月27日(水)
2月中に読了できるか自信がなかった『2666』であったが、本日、昼休みのドトールで、ようやく読了した。読み終えて、またすぐ読み返したい気持ちになる。長い小説を読み終えた後はいつもそうだけど、この小説を読んでいた、たくさんの場所のことを思い出す。新幹線や寝床の中や、昼休みの休憩室にさしていた日差しのことや、喫茶店の珈琲の味とか、地下鉄や京阪電車の眺めのことを。
『2666』を読んだ後、例えば『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』や『東京プリズン』を読んだが、どうも乗り切れず、終わった。どれも薄味すぎて、食いたりなかった。『2666』の肉厚さとエネルギー、濃密で緻密な世界から、なかなか出てこられなかった。また重厚で、楽しく、刺激的な小説に出会いたい。

Twitterというものに登録してみました。@FukudaKaxw
こういうツールなら気軽に使えて、しょっ中、文章を書けるのかなあ、と思ってもみたけど、そうでもないな。
でもまあなんだかんだ言って、文章を書くのが基本的に好きなんだなあ、とあらためて自分のことを認識した。

震える魂よ 肉体に宿いし友よ

淀川のはるか向こうの空港に、旅客機が降りていく。仕事の合間に、空港の方を見るのが、とても好きだ。実際は高速なはずだけど、会社の窓から見る機体はとてもゆっくり下降している。風船みたいに、ふわふわと。
わたしがよく知ってるかもしれない、あるいは、会ったことはないけど知っているかもしれない、または、わたしは知らないけどわたしのことを知っているかもしれない、いろんな人が、きっとあの飛行機にのっている。

今度、わたしが飛行機に乗って伊丹空港に降りるとき、遠くから見ている自分の視線を想像してみようと思う。地上にいても空中にいても、結局はどこにもいないような気が、いつもしている。

1月21日(月)
夜から雨になるという天気予報を知っていたのに、傘を持たずに出てしまう。おかげで、帰りは、駅から自宅まで、ぬれながら走る破目になってしまった。こんなことでもないと、全力で走るなんて、最近とんとなくなってしまった。自分の全速力って、いったいどれくらいなんだろう。50m、何秒で走れるんだろう。昔は何秒で走ったんだろう。

帰りの地下鉄で『新潮2月号』に一挙掲載された黒川創『暗殺者たち』を読了した。なんと、面白かった。一気に読んでしまった。アナキストたちは、思想をかためて昇華させていくよりもむしろ自分の感情に溺れコントロール不能に陥って、ほとんど自滅したかのように見える。その中で大石誠之助の真摯さが際立って、胸をうつ。

夜は、『映画秘宝3月号』のはくさいアワードを読んで笑う。けっこう気楽。わたしは、町山智浩ラース・フォン・トリアー批評に全面的に賛成する。とにもかくにも早いとこ、『ジャンゴ 繋がれざる者』、観たいわあ。

1月22日(火)
雨。出かける時間、もっとも強く降る。会社に行くなという天のお告げでないかと思う。

お昼ごはんは、お手製お弁当。ミートローフとキャベツの炒めもの、葱入り卵焼、千切り大根と人参の煮物(作り置き)、ミニトマト、ごはんの上にかつおのふりかけ、漬物。これに水筒にいれた熱いほうじ茶とみかん。しみじみと美味しい。
昼のお供は『暗夜行路』。全然だめ。『冬の本』で山本さんが取上げていて、なるほどなかなかよさそうだ、と読みはじめたはいいが、全く面白くなくて、ほとんど苦痛を覚える。内容は辛気臭いし、文章は短く簡潔なのに読みにくく、わたしにとっては鬱陶しいだけな志賀直哉。山本さんの紹介が上手すぎるんだよ。あまりの馬鹿馬鹿しさに前編で止める。

本日も2時間ほど残業。今年の目標は定時退社と月一回の有休取得、なんだけど、達成するのは至難と思われる。
雨上がりの梅田の夜空を見上げれば、光を点滅させながら、飛行機が西へ下りていく。あんな高い空にたくさんの人間がいる。よくよく考えれば、飛行機ってすごい発明品のように思える。ヤマト宅急便がアマゾンからの荷物を持ってくるため、急いで帰宅。家にある野菜と肉を放り込んでカレー鍋。ビールの後、赤ワインを2杯ほど飲む。

アマゾンから届いた『SUPER FOLK SONG』のDVDを観る。

オールディーズ、バッド、グッデーズ

新年の朝の光に照らされて、空中に微細な埃が舞っている、午前7時。ふと下に目を落とせば、窓のそば、本棚の前、テーブルの下、冷蔵庫のわきに、くるくるまるまった綿埃がひとつ、ふたつ、転がっている。
毎年同じだけれど、年末は思うように休みが取れないことはもちろん、残業と忘年会に繰り返し襲われ、ほとんど掃除らしい掃除ができなかった。綿埃をつまみ、ゴミ箱に入れる。

つい先だって、ここに、おしょうがつ、などと称して、何か文章を書いたような気がするのに、あれからもう365日も経ったとは、埃だけじゃなくて時間も転がっているのかね。埃は拾っているだけでは埒があかないので、掃除機を出してきた。

時間が転がっているのは本当で、きょうという一日もあっという間に過ぎた。
掃除の後、テーブルにおせちを並べ、きのう食べそびれた鰊蕎麦もつくり、酒を燗にして、年末に購入したプロジェクターで、これまた年末に3本3000円で購入したDVDの中の1本である『ブエナビスタソシアルクラブ』を壁に投写して、観ながら食べた。『ブエナビスタ』は、何度観かえしても、あらゆるシーンでじんわり涙がにじんでしまう、郷愁にあふれた映画だ。
映画の後は、NHKラジオで、松浦寿輝の『ミュージック・イン・ブック』という番組を聴く。小説の中にでてくる音楽を聴き、それについてゲストと語る、というもの。きょうの相手は川上未映子。番組のラストに松浦氏が、川上さんにとって音楽ってなんですか、というなんともかんともな質問をするのだが、それに答えて川上さんが、うーん、そうですね、けっして鳴り止まないものですかね、と言ったのが、心に残った。
確かに、音楽は鳴り止まない。いつも鳴り続け、聴こえている。楽しいときも憂うときも、ひとりのときも大勢のときも、ざわめくときも雑踏にまぎれていても、闇に沈んだ無音のときでさえ、必ず音楽は鳴っている。
いつも心に音楽と詩を。そう思うだけで、満たされてくる気持ちがする。
午後からは、近くの神社に初詣にいき、お神酒とお汁粉をいただく。近所を1時間ほどぐるっとひとまわりし、正月の風景を刻み、帰宅してから、家事をして、本棚の整理をし、ここに日記を書いたのだけれど、どういうわけか更新寸前で突然パソコンがフリーズし、なんだなんだとエンターキーを闇雲に押してみたら、一瞬にして全てが消えた。
仕方がないので、録音しておいた『世界の快適音楽セレクション』を聴きながら、夕ご飯をつくる。粕汁に、ハッシュドポテトにロースハムを焼いたもの、キャベツときゅうりと卵のサラダに、おせちと白ワイン。プロジェクターに次々とDVDを放り込み、好きなシーンばかり、大画面で観ていく。とうとう寝るまで、映画ばっかりみていた。我が家は映画館。
こうして午前1時には寝た。

先々月にここに文章を書いてから、いろんなことがあった。その中には、選挙と牧野エミさんのことがあった。
わたしは政治には恬淡としていたいほうだし、そんなに関心があるわけではないのだが、こんなに投票するのに気が重くなる選挙は、たぶんはじめてだった。会社に行くのもたいがい嫌だけど、投票所に行くのがすごく嫌で、日曜日が来るのが本当に憂鬱だった。棄権したかったけど、結局行った。村上春樹は選挙に行かなくても社会は変えられると言ったけど、まあそれはある意味そうなんだと思うけど、でも投票所には行って、でも小選挙区のほうは、誰にも入れられなかった。本当に投票したい人がいなかった。だから、あの小さい投票用紙にあの書き難いエンピツで、なぜわたしは誰にも投票しないかという文章を書いた。数分かかってせっせと書いたので、係りの人に少し不審がられた。わたしのしたことはたぶん何の意味もないし、社会も変えないかもしれない。だけど、黙って従うのは絶対に嫌なのだ。

11月に牧野エミさんが突然、亡くなってしまったことは、やはりショックだった。それは、例えば小沢昭一さんや勘三郎の死から受ける気持ちとは違う、さみしさだった。わたしは牧野エミさんを応援していた。それは、生きるということはもちろんだったけれど、それだけではなくて、悔いを残さないでこの世と別れるという、その別れ方も含んで、わたしは牧野さんを応援したかった。そして、もう応援しなくてよくなってしまったことへ、空漠ともいえるさみしさを感じてしまうのだ。

けれども、私は、だんだんこう思うようになったのです。時間などというものはない、あるのはたださまざまなより高い立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして、生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしがたって、そこを出たり入ったり出来るのだ、と。
そして考えれば考えるほど、いまだ生の側にいる私たちは、死者の眼にとっては非現実的な、光と大気の加減によってたまさか見えるのみの存在なのではないか、という気がしてくるのです。

2012年に読んだたくさんの書物の中で、一生読み続けたいと思った小説であるW.G.ゼーバルトアウステルリッツ』の中の文章。これを牧野さんに伝えたい。

心細くなってしまうのだろうか

もう少し晴れるかと思っていた。久しぶりのお休みだったので、朝7時頃から張り切って布団を干してみたものの、いっこうに太陽は出てこなくて、出てきてもすぐに隠れてしまった。どんよりした空から時折冷たい風が吹き、ベランダにかかったシーツをゆらしているのを部屋からみていると、ものすごく心細い気分になってきたので、布団を取り入れたのが午前9時。そのあとも照ったり曇ったりを繰り返し、あっという間に日が暮れた。

つい一週間ほど前に、41歳で初めて子どもを産んだ友人がいて、産んだ子どもの写真とともに送られてきたメールの中に、人生でこんなに自由時間がないのは初めてだ、と書いてあった。赤ちゃんの写真をみて、どんな言葉を返していいかわからなかったけど、人生の自由時間のことについては、何か書けそうな気がした。でも何も書かなかった。自由時間ってなんだろうね。わたしたちは、いつでもなんでも好きなように、できるはずなのに。

前にここに何か書いてからまた3ヶ月ほど経った。一日はほぼ同じようなかたちをしているのに、何で後ろを振り返ったとき、それぞれ違う毎日が連なっているように思えるんだろう。
毎日毎日、仮面をいくつもつけかえて、心にもないことを喋ったり、笑いたくもないのに笑ったりするのは本当にしんどかった。わたしにとって、そのしんどさをわかってくれそうなただ一人の人が平田オリザで、その平田オリザを観察した映画、想田和弘監督の『演劇1』『演劇2』を10月末、約6時間かけて観た。ものすごくよかった。
演劇観て元気になってもらおうなんて全然思ってませんから、と笑う平田オリザの戦略的な愛想笑いは、わたしの心を洗い、力づけてくれた。監督にとってもそうなのだろう。徹底して内面にふみこまない姿勢が、逆にある種の人の内面を癒す。映画の中で挿入される、東京やパリの街中の風景は、猥雑であるほど不思議と美しい。また、ラストの、稽古中に居眠りしそうでしない、落ちそうでギリギリのところで持ちこたえる平田オリザの瞼は、ホセ・ゲリンの撮った墓石に昇ろうとする蟻のシーンとだぶって、妙にスリリングだった。あと、本番前の『青年団』の役者達の、しこみやばらし、昼食時の何でもない雑談や発声練習などのシーンはわくわくして、単純にとても面白かった。ここ数年で観た映画の中でも、群を抜いて素晴らしかった。

先週観た『黄金を抱いて飛べ』は、なんというか、期待したほうがだめなんだろうけど、やっぱりあかんかった。高村薫には悪いけど、わたし、物語のある映画もうだめかもしれん。話、つくりすぎやし。とにかく浅野忠信はごちゃごちゃごちゃごちゃ動きすぎ。若い時は演技しなくてもそれなりにオーラが出てたけど、年を経てそのオーラが失われ、演技しないととてもじゃないけど見られなくなってて、その演技がこれまたきつい。また妻夫木は見られる。泣きすぎだけど。

夏から秋にかけては、小説から遠く離れて、社会学的な本ばかり読んでいた。もともと社会学部出身だから、結局、社会のことが好きで、いろいろ知りたいのかもしれないと思う。特に小熊英二『社会を変えるには』『平成史』、ニール・マクレガー『100のモノが語る世界の歴史』が勉強になってよかった。それから家の光協会から出ている『わたしのとっておきサラダ』もよく読んで、たくさんサラダをつくって食べた。尊敬する料理家である長尾智子さんの『毎日を変える料理』も、折に触れてよく眺めている。

8月に会社が梅田に移転して、まあ確かにビルは綺麗になったけど、セキリュティがものすごく厳しくてどこに行くにもカードが必要ですごく面倒くさいとか、家から歩いて行くには時間がかかりすぎるとか(でも帰りは時々歩いている)、黒門市場に寄り道しにくくなったとか、嫌なことばかりの中で、唯一、社員食堂がなくなったせいでお弁当生活が復活したことが、喜ばしい。せっせと毎朝弁当をつくり、お茶を水筒につめて、遠足気分で出かけている。

きょうは銀行にいくためになんばに出たついでに、タワーレコードキリンジの新譜を買った。キリンジのアルバムを買うのは久しぶりだ。冬になるとキリンジが聞きたくなるし、鼻歌で唄う回数も断然増える。
五月病』という曲を鼻歌で唄うといつでも、ランドセルを背負った自分になる。ドヴォルザークの『家路』をバックに、夕方、運動場をななめに横切って小学校の裏門を出る時の、ひとりの自分。焼却炉の横にあった柿の木の葉が落ちかけていたこと。からっぽの給食室。講堂の横に片一方だけ落ちていた上靴。好きだった男の子が友達とはしゃぐ声。振り返っても見えない姿。職員室の時計。バスケットゴール。鉄棒。夕暮れ。泣きたくなってしまう。

友達いない土曜のサイレンは、やけに長く唸るもんさ

酒を注げ、それから歌え

蝉は、午前5時半に鳴き声をあげる。昇る太陽にあわせてどんどんボルテージがあがり、洗濯物を干すためにベランダに出たときには、木全体がスピーカーみたいにうなりをあげていて、蝉に包まれる感じになる。声が耳に、日が肌に痛い。

日録によると、今年、初めて蝉の声を耳にしたのは7月12日で、この日の朝のNHKニュースでは、「現在九州では、今まで経験したことのないような大雨が降っています」と、アナウンサーが緊張した声をだしていた日だった。そんな表現も、初めて聞いた。
南で降りしきる雨。曇り空の大阪では、じいっと静かに蝉が鳴いていた。また、夏がはじまるのだと思った。

7月12日は蝉の声を聞いた他に、十三でカサヴェテスの『ラブ・ストリームス』を観た。さみしいときはさみしいって素直に言ったら?と、カサヴェテスの映画を観ると思う。そばにいてほしいって、行かないでくれって、言ったら?自分だって言えないくせに、映画に出てくる人たちにはそう思う。でも誰も言わない。心から渇望しているくせに、欲しいものには背をむけて、別れる時は黙って手を振る。
先週の木曜日、8月9日にはテオ・アンゲロプロスの『霧の中の風景』をスクリーンで初めて観た。居たたまれないほどの美しさ。きょうだい2人がドイツ行きの列車に乗ってしまうとき、白い馬が路上で死に絶えるとき、フィルムに霧が映るとき、オレステスとバイクで海まで駆け下りるとき、そして国道で別れるとき。
生きることは痛切で残酷だ。しかし、世界をこのように切り取ることのできる人達がこうして存在していたことに、心から感謝したい。

わたしはその人の死だけを恐れていた
もはやわたしに恐れるものはなにも残っていない
家屋敷はわたしの好まぬ人でみち
墓場はわたしの好きな人でみつ

アブー・ヌワース『アラブ飲酒詩撰』(岩波文庫)は、このところのわたしの枕頭の書。

この日記を放置していた約3ヶ月、どうにかこうにか日を過ごしていた。日々、いろんなことを思い、考え、不安になり、開き直り、怒り、うんざりして、やりすごし、当惑し、また考え、感じて、実践し、知らない間にすべてが過ぎ去っていた。ここまで来た道程は、振り返ってももうよく見えない。それを、どうにかこうにか、と名づけることにした。

星は沈み闇の帳は高く上がりぬ
ものなべてしらじらと夜の明くるを知る
生命受くれば生きねばならず
荷を担ぎて朝早く門を出て行く

これまた何度読んでも素晴らしい、黒川洋一編『李賀詩選』(岩波文庫)。これはまだ書店でも買えるはず。700年の終わりから800年代初頭に生きた人の詩が、なんでこんなに新しくみずみずしく、わたしのような者の心にも沁みるんだろう。
夜には主に詩を読んで、昼間は長谷川四郎とブローディガンを再読している。

すごく短いけど夏休みをもらえたので、もう少し、この日記を書けたらいいなあと、思ったり思わなかったり。

長い時間の記憶は消えて

ホントに若かったよな。恐いものなしだよな、立ってる姿だけでそう見えるじゃないか、こんな時がいつか自分たちにも来るなんて全然考えてないよな、俺だって考えたことなかったもん、死ぬとかさあ、年とるとかさあ、自分は十年後も二十年後も今と同じ姿してんだよ、想像なんてそんなもんだよ。人は未来なんて想像できないんだよ。未来にいるのは自分なんだよ。でも死んだのはキヨシローってことじゃないんだよ。こうやってギンギンにやってる八三年のキヨシローやチャボはキヨシローが癌にならずに生きてたってもういないんだよ、だってそうだろ?   保坂和志カフカ練習帳』

そうなのかな。そうなのか?

4月25日(水)
黄砂が降り、空が土色にぼやけていた。各地で夏日を記録、大阪も暑かった。ストーブはまだ灯油が入ったままリビングの真ん中に放置されているが、わたしはこれをどうするつもりなんだろう。
堀江敏幸の写真集が出る、と聞いたときは、てっきり本人が被写体になるものと思い込み、ご乱心だなあ、徹底的に世の中おかしいな、と途方に暮れていたのだけれど、堀江さんが撮った写真の写真集だった。ほっとした。
『目覚めて腕時計を見ると』というのは、あとがきにもあるように島尾敏雄からの引用で、その本のページをそのまま撮影した写真もある。急に読みたくなり『夢のかげを求めて―東欧紀行』を持って、出勤した。
車窓を流れていく景色、出会って別れた人、交わした会話、異国の空気とにおい、見てきたもの置いてきたものにいちいち心を残し続ける島尾敏雄に共感しつつ読む。
30分だけ残業して退社。商店街の時間が止まったみたいな鄙びた小間物屋で、埃をかぶって陳列されていた、大根おろしをつくるためのおろし器を買う。急にずかずかと店に入ってきた女が、ろくに選びもせずに、おろし器をひっつかみ、これください、と差し出したので、店番のおじさんがびっくりしたみたいな顔をしていた。700円、消費税込。
大根おろしは、夕食に、おろししょうがと葱、レモン汁とともに天つゆにいれ、しし唐、玉ねぎ、紅しょうが、ちくわ、かぼちゃ、あなごの天ぷらをつけて食べた。それとトマトサラダ。トマトはカシッとして甘くて美味しい。
宝塚線の事故から7年。あれから長い時間が経った。そしてその時間は、今につながっている。

4月26日(木)
給料日だがお金がない。右から左へ流れていく。金など観念上のものでしかないのはわかっているが、給料をもらうたびに悲しくなる。
半年分の通勤定期券を買わねばならぬ羽目になったことも、このお金のなさの理由だ。毎日歩いて通勤しているこのわたしが、なぜ、使いもしない、しかも、大嫌いな大阪市営地下鉄の定期券を買わねばならぬのか理解に苦しむ。しかし、大人にはいろいろ事情がある。久しぶりに足を踏み入れた本町駅の定期券売場は、社会主義国の税関所みたいに陰気でどんよりしており、職員の顔はパチンコ屋の景品交換所なみに、衝立で隠されよく見えなかった。
図書館で借りた、星野博美『コンニャク屋漂流記』を読む。確かに、人は未来を想像なんか出来ないのかもしれない。人が生きてた時間は、その時間の中にしかない。
夜、ラジオから流れてくる声に耳を傾ける。実際にあったことだって信じられないなあ、と思うこともあるけど、あの時間は確かにあったし、きっとまだどこかに残っていていつか蘇るはずだ、と思う。
そうだ。3月に小沢健二のコンサートに行った時に強く感じたのだ。遠く過ぎ去ったかに思えた時間はまざまざと蘇り、それが自分を激しく揺さぶるのだ、と。

4月28日(土)
出勤時、『世界の快適セレクション』を聴いていたら、冒頭の曲はゴンチチのギターによる『ひまわり』だった。三上さんが、ソフィアローレンが傷をおったマストロヤンニを抱きしめ頭部に傷があることを知った時、ああこれで本当に全てが変わってしまったのだ、もう元には絶対に戻れないのだ、ということを悟るんですよ、そのシーンはあまりにも哀しいですね、と語り、もうそろそろ会社の門をくぐろうかとしていたわたしは、打ちひしがれて、働くのが嫌になった。でも働いた。
NHKテキスト『ビギナーズ』の「鶏肉自由自在」に載っていたレシピから、鶏胸肉のレモン炒めをつくる。天つゆに使ったレモンが残っていたので。枝豆、スナップエンドウ、三度豆、ブロッコリーを茹で、枝豆は塩をふり、他の野菜はオリーブオイルと塩を振りかけて食べる。冷奴やキムチも。タイガースはGにボロ負け。なんじゃ、やる気ないんやったらやめろー、と雄たけびをあげて『カフカ練習帳』を読む。

やさしい手紙が書けるように

2月2日(木)
『みすず』読書アンケート特集が届く。
『みすず』は梅田の旭屋で買うのが当たり前だった。しかし、旭屋は昨年末にひっそりと店をしめた。ビルの老朽化、というのが理由だが、ビルが建て直されてもここにもう一度本屋ができることはないだろう。だから、もう旭屋で『みすず』を買うことはできない。
旭屋といえば、『一冊の本』や『未来』や『UP』、今はもうない『草思』といったPR誌をもらうため、一週間に2〜3回は足を運んでいたことを思い出す。まだ陳列されていない新刊を、店員にせがんでバックヤードから持ってこさせたり、4階の岩波とみすずの人文書コーナーで、2時間くらい立ち読みしていたこととか。そういうことはもう2度と出来ない。
旭屋がなくても、定期購読したから『みすず』を読むことはできる。そういう小利口な自分が時々嫌になる。
ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』と、アナトーリイ・ナイマン『アフマートヴァの思い出』を、早急に読まなければならないと、焦るような気持ちになる。
同じ年に同じ本を読んでいたとわかるだけでも、「読書アンケート特集」があってよかった。

2月3日(金)
母の検診の日。今回もなんとか無事だった。検査のセーフがわかるまで節分の巻き寿司を作る気にならないと言っていて、晴れて無罪放免になったから作るわー、と電話ではとても機嫌がよかった。小さな喜びのひとつひとつの積み重ね。
ストーブに火をつけるマッチがなくなったので東急ハンズに行く。マッチありますか、と店員に聞くと、あライターですか、と言われる。いやマッチです、と言うと、あチャッカマンですね、と言われて腹がたった。わたしはマッチが欲しいねん。結局ハンズにマッチはなかった。ハンズには何でもあると思ってた。
黒門市場によって白菜やらきのこやら鱈など鍋の食材を仕入れ、ジャパンに行ったら10箱140円で売っていた。何でもあるのはジャパンだったというわけか。
この日は他に、ミラン・クンデラ『出会い』(河出書房新社)を買った。読んでいた本は、島崎藤村『夜明け前』第二部。新聞の書評欄で斎藤美奈子が取り上げていて読む気なったのだが、辛気臭くて面倒になって一日でやめた。

2月6日(月)
週末にひいた風邪がひどくなって、身体を折りたたみたくなるほどきつい咳がでて、ヒキガエルみたいな声になってきた。それでも、通勤時の鼻歌は小沢健二だ。蛙の声で唄う『さよならなんて云えないよ』。とにかく、先月末にアンゲロプロスのことがあってから、入れ替わり立ち代わり小沢健二の唄が頭の中でループする。今回、オザケンにはずいぶん助けてもらった。
昼休みに耳鼻科に行き、喉に薬を塗ってもらう。吸入したらずいぶん楽になった。
帰りは天王寺までまわり、待ち合わせてお好み焼きを食べに行く。津村記久子さんの小説に「梅田はいつも工事をしている」というのがあったが、天王寺だっていつも工事をしている。そんなにいじくって街を一体どうしたいのか。動物園の前には、とっぷり日も暮れたというのに、この寒空の下、まだ将棋をさしているおっちゃん達がいた。

2月9日(木)
部内のコミュニケーションをより高めるため、最低年に2回、何らかのレクリエーションを計画するようにというお達しがあって、今日はその第一弾として卓球大会があった。終業後からやで、信じられんわ。休みの日でも嫌やけど。生類憐れみの令以来の悪法だとわたしは思う。断ればいいのに、のこのこと参加してしまう自分がさらに信じられない。
難波のボウリング場に、卓球台が6台置いてあって、カップルが一組、キャーなんて言いながら、楽しそうに打ち合っていた。聞くところによると世の中には卓球バーというようなものもあるそうで、なんか卓球ブームなのかも知れない。
わたしは、卓球などというものは今までやったことがなくて、サーブの仕方も知らなかったが、そのわりにはやってみると楽しかった。スマッシュをことごとくネットにかけてしまったのが屈辱だ。
嫌だ〜、と思う世の中の人とのいろんな行事とか飲み会とか会話には、ほんとにうんざりすることも多いし、この時間が早く過ぎ去ることを心から願うだけのときももちろんあるけど、でも不思議と時々、あ、いまおもしろかった、と思う一瞬が必ずある。嫌だ、嫌なんだけど、捨てたもんでもない、というか、心から笑ってる自分がいたりする。これがあるからかろうじて社会生活が営めてるんだろう。

本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると
そして 心は静かに離れていくと

卓球のあとは、みんなでお酒をのんで、わたしはひとりオザケンを唄いながら、夜道を歩いて帰る。空気が冷えて、頬っぺたが凍りそうになりながら。
お風呂につかって、寝床でポール・セロー『ゴースト・トレインは東の星へ』を読む。ブルガリアをぬけて、トルコまでたどり着き、オルハン・パムクに会ったところまで読んで、寝る。